吉川友梨ちゃん捜索の輪!・管理人の日記より(2006年)

管理人の別サイトの日記から「捜索の輪!」に関する内容だけを抜粋しました。
また、2005年2月13日からはblog版「捜索の輪!」、2006年4月23日からは「mixi」
からも転載しております。(不定期更新)

2009年の日記はこちら
2008年の日記はこちら
2007年の日記はこちら
2005年の日記はこちら
2004年以前の日記はこちら

2006年12月29日

ゆりちゃんの輪!!のページのリンク数は1,535。

そのうち一割近くはサイトの閉鎖、移転、リンクの解除があるように思います。
時々サイト閉鎖や移転の連絡を頂く事があります。
その時は削除、変更をしているのですが、連絡を頂けない場合と、私が相手の了解を得ずに勝手に登録したサイト様の場合はそのままにしているの事が多いです。

削除に要する作業時間よりも前向きな更新にその時間を当てたいと思っての判断です。
しかし、時間を掛けてでも一度更新をしなければいけないと思っています。

何事においても古新聞は良く無い事です。
ページの更新は活動の証です。



2006年12月28日

先日「捜索の輪!」のトップページに貼っているリンクを順番にクリックしました。

するとリンク切れが・・。
警察のページは時々urlの変更があるようです。
以前「佐野由香里ちゃん」の件で愛知県警の担当者と喧嘩をした事があります。
「直接そのページのリンクは禁止」と言われ「何故駄目なんですか?」と・・・

最初電話に出た担当者は「駄目」の一点張り。
その後別の人が「予告無しにサイトの変更をする事があるので・・・」と言う理由でした。

時々確認しないと「リンク切れ」になっている時があります。
その都度変更をしているのですが気が付かずに何日も経っている事もあります。

放置しっぱなしにしないよう気をつけたいと思います。


2006年12月27日

友梨ちゃんが行方不明になった5月は今年でも去年でも無く2003年の5月です。

2003年、2004年、2005年、2006年。
そしてもうすぐ2007年になります。
この年月を皆様はどうお感じになりますか?

2003年は5月20日の朝まで、2004年、2005年、そして2006年は一日も一時も友梨ちゃんとご両親は会っていません。
顔を見る事も、声を聞く事も叶わないこの歳月。

あの日「行ってきま〜す!」と元気に家を出て行ったきり、3年7ヶ月も帰って来ません。
行方不明の時は小学4年生、そして中学1年生の2学期が終了しました。

年が変わって3学期が終了すると、また4月に一つ進級する事になります。



2006年12月26日

最近途切れていたリンク協力が2件ありました。

現在のリンク協力サイト数は1,500を超えています。

1,500になったのは今年の6月6日。
その100前の1,400は2005年の8月。
直近の100増に1年2ヶ月も掛かりました。
その前は4ヶ月、2ヶ月、1ヶ月。
そしてその前は4ヶ月、2ヶ月、2ヶ月
何故か秋は少し間隔が空いてしまいますが、それ以外の時期は2ヶ月前後で100増になっています。

しかし、6月6日に1,500になってから半年以上経っていますが、その期間で増えたのは35。
既存のサイト様だけでは発信の裾野を広げる事は難しいです。
新たなサイト様からの発信が新たな関心・協力に繋がりやすいと思います。

是非皆様のサイトからの情報発信をお願い致します。



2006年12月25日

最近アクセス数の事を書く事が多くなりました。

減って来ているのが気になるだけで無く、他に書く事がないからでもあります。
捜査状況、支援・協力の事。
その他私自身の動きすら無い状態です。

その為先日捜査本部の担当者様とお会いしていろいろ話をさせて頂きました。
それだけの事で「行った事」「話した事」「感じた事」を書く事が出来ます。

今年もあと一週間で終りです。
「友梨ちゃん無事保護」の吉報を聞く事無く終わってしまうかもしれません。

一日でも早くご家族の下に帰れますよう皆様お力をお貸し下さい。



2006年12月22日

事件当初は捜査本部に情報が齎されましたが、今はどうなのでしょう?

友梨ちゃんと犯人の接触の瞬間の目撃情報は無いのでしょうか?
「車に乗せられた」「近所の家に引っ張り込まれた」

事件を長期化させている一因がそれです。
犯行に車が使われていた場合、その車の色・車種がその目撃情報が無い為に判っていません。
また、通りの家の何処かに連れ込まれた場合、その家の特定が出来ません。

警察は今も必死に車両の特定に全力を上げています。
膨大な台数の中からの一台。

もし、その最後の一台が「シロ」だった場合・・・



2006年12月21日

犯行現場は「捜索の輪!」の行方不明現場のページに友梨ちゃんの通学路を記しています。

友達と別れて同級生とすれ違ってからの90秒の区間です。
当初塗装屋さんが見た女の子は友梨ちゃんだと言われていましたが別人だった為に時間も少し早めになり3時前後が行方不明になった時刻です。

当時は地元の老人会の会合があり普段でも人通りが少ない道が余計に目撃情報が少ない原因です。
何度か現場に行きましたが、その時は歩行者はゼロ、通った車両は数台だけでした。

これだけ人通りが少ないと目撃情報が無いのにも納得が出来ますが、必ず誰かが見ていると思います。
古い地域ですので人間関係が複雑な為、口に出さない方もいると思います。

人一人の命が懸かっている事を忘れないで下さい。



2006年12月20日

今日で友梨ちゃんが行方不明になって3年7ヶ月になります。

今日は家から直接泉南、泉佐野方面を回りました。
泉佐野の得意先から5分ほどのところに友梨ちゃんが行方不明になった七山地区があります。
月に一・二度その得意先に行くのですが現場まで行く時間と余裕がありませんでした。

今日は20日。
コンビニの駐車場で5分で昼食を済ませて現場に行って来ました。
車で友梨ちゃんが通った道を走りながらこの道の途中までその日の社会見学の事を考え、家に帰ってお父さんやお母さんに何を話そうか考えながら歩いていたと思うと・・・。

友梨ちゃんはまだ社会見学から帰って来ません。
お父さんやお母さんに「ただいま」を言っていません。

友梨ちゃんはこの道の何処で?

誰に?

そして今何処に?



2006年12月19日

昨日の日記は日曜日に書いたものですが、その他に3日分を書きました。

いつものように自分が感じた事やサイトの事、協力の事を書く時と比べると今回の作業時間は数倍以上かかったように感じます。
過去記事をいくつも読んでからでないと書けませんのでそれだけでも相当時間を要します。

記憶や思いではない「事実」を書かなければならないのは以外と時間が掛かります。
しかし今回の日記を通して3年半前の出来事を改めて思い起こす事が出来た事は良かったと思います。

私がこの活動を始める1ヶ月前の出来事。
忘れていた事も多々有りました。
記憶を蘇らせる事、もう一度事件の事を考える良い切っ掛けだと思います。



2006年12月18日

犯行時刻は事件発生当初は「2003年5月20日午後3時半頃」と発表されたと記憶しています。

<;吉川友梨ちゃんが行方不明になった20日の主な動き>
14:30   社会見学から学校に帰る
15:00ごろ 同級生の女児3人と一緒に下校
15:15ごろ 3人と別れ、1人で自宅へ
15:18ごろ 同級生の男児とすれ違う
15:20ごろ 友梨ちゃんとみられる女児を塗装作業員が
        たばこ店前で目撃
15:25   友梨ちゃん宅近くのバス停からバスが出発
        運転手や乗客は友梨ちゃんを目撃せず

これは読売新聞5月26日夕刊に掲載されたタイムテーブルです。
3時20分〜25分と5分間の空白時間を埋めようと捜査をした結果、翌日の報道では3時10分。
それカら6月に入っての報道は3時頃が行方不明になった時刻とされ、空白の2分間が90秒、そして30秒に。

今は空白時間は90秒の状態で時間は3時頃。

「3年経ってこれだけしか分からないの?」と思うかもしれませんが、この時間を特定した捜査方法を捜査員の方からお聞きしました。
この2点を決めるだけでも相当な苦労をされています。
私が捜査の詳細をお聞きして捜査の大変さと確実性を思い知らされました。

その地道な捜査がこの時間と空白が決定付けられました。



2006年12月15日

今日は朝6時過ぎに営業車で家を出て8時に大阪の事務所着。

昼間で事務処理をして泉大津・岸和田を回って7時半過ぎに一旦帰社。
それから9時過ぎまで仕事をして、泉南の得意先にカタログを届けて11時過ぎに帰宅しました。

平日のblogの更新を自分に課していますので続けなければなりません。
しかし最近は帰宅時間が遅い、内容が浮かばない日が続いています。

休日に書きだめをしようにも何を書いたら良いのか苦慮するが多いです。
今日帰りの車の中で考えたのですが、来週から「事件について」書いて行こうと思います。

報道されている内容だけでなく刑事さんから聞いた話も取り入れて自分なりの考えを書いて行くつもりです。
長期化している現状を考えると今一度原点に帰る、再考する事が必要な事だと思います。



2006年12月14日

昨日の話の中で「車両」の話になりました。

事件当初から車両の特定に全力を傾けておりますが、あまりにもあいまいで膨大な台数ですのでまだまだ時間がかかりそうです。
今まで相当数の車両を調べてられたそうですが、まだ半数以上の車両を調べて行かなければならないそうです。
犯行に車両が使われた場合ですが、その1台の車両を突き止めるにはまだまだ時間と労力が必要です。

また、一人の人物を調べるだけでも膨大且多方面の情報を寄せ集めて潰して行くとの事。
車両の有無、事件当日の行動。
「なんで今頃?」と不審がられる事もしばしば・・。
それだけ膨大な時間がかかる捜査なのです。

2003年5月20日、その付近を走行した方は捜査本部に名乗り出て頂きたいと思います。
捜査線上から1台でも多く、1分でも早く削除する為には皆様からの申告が事件解決への早道です。


2006年12月13日

今日、捜査本部のS警部補とお会いしました。

朝9時半に泉南の得意先を出てから携帯に電話。
10時前に泉佐野警察署に着き、近くの喫茶店で珍しく1時間ほど話をさせて頂きました。

お会いして開口一発「昨日直帰でしたん?」
午前中に泉佐野付近にいた事で私の行動パターンが読まれていました。

今日の話はお互いの仕事の話と捜査の話でした。
詳しい内容は当然教えて頂けませんが、捜査の進め方などいろいろ教えて頂きました。

S警部補とはもう2年半以上情報交換を続けています。
メール、掲示板での問い合わせの連絡、情報提供者様への橋渡し、サイトで訴える内容など。
一緒に現場にも同行して頂きました。

その間にこちらの素性も調べられましたが、それだから遠慮無しにいろいろな話が出来る関係になりました。

事件解決までお互いの目的の為に出来るだけ情報交換を行って行きたいと思います。



2006年12月12日

先週の土曜日は休みでしたが泉南、泉佐野の得意先を回って来ました。

先日捜査本部の担当者様から「また寄って下さい」と言われていたので電話をすると・・・
「今日は非番です」との事。
普段の仕事中ではなかなか時間が取れないのでちょうど良いと思っていたので残念です。

以前のように仕事に余裕があれば30分ほど寄り道も出来るのですが、今は昼休みも取らないで回っている事が多いのでその30分すら取る事が出来ません。
以前の余裕と言ってもその昼休みの時間を捜査本部訪問に当てていただけですので余裕とも言えないかもしれませんが・・・

出来れば土曜日出勤の時にでも少し抜けて寄りたいと思っています。



2006年12月11日

本日、私が管理している3つのサイトの合計アクセス数が100万を超えました。

HP版「捜索の輪!」は850,860、blog版「捜索の輪!」は103,350、携帯サイト「捜索!」は46,160。
それぞれ3年半、1年10ヶ月、3年2ヶ月になります。
携帯サイトは途中からアクセス数も引き継いで支援者の方に委託し、本館サイトとblogのみでリンクをしていましたが、2006年4月から捜索の輪のトップページに再リンクをしました。

いつも数字ばかり並べていますが、沢山の方に関心を持って頂いた事、協力を頂いた事を表現するにはどうしても数字になってしまいます。

ただ以前よりもアクセス数が減って来ているのは気になりますが、今までこれだけの関心、協力があった事、そしてこれからも同じだけの協力をお願いして今日の日記に代えたいと思います。

皆様今後とも宜しくお願い致します。
そしてこんなサイトがある事を伝えて行って下さい。


2006年12月 8日

本日HP版「捜索の輪!」のアクセス数が85万を超えました。

サイトを開設してから3年半弱。
最初は「吉川ゆりちゃんを捜しています!」のページを本館サイトの1ページとしてアップし、その2ヵ月後に「捜索の輪!」として本館サイトから独立した形に変更しました。
その半年後にYahoo!トピックスに取り上げられ、登録サイトになりました。

その時初めてyahoo!が一番のポータルサイトである事を実感しました。
そのお陰でリンク協力も1日で100サイトも増え、メール、掲示板への書き込みも多数寄せられるようになりました。

また大きく取り上げて頂ければ、沈滞気味な状況が少しは良い方向に向くと思います。

その為には原資となる記事の配信が必要になって来ます。

今まで友梨ちゃんの記事を書いて下さった各紙の記者の皆様、是非記事の執筆をお願い致します。



2006年12月 7日

これまで泉佐野警察に数回、教育委員会には3度お伺いしましたが、担当者に情報や資料をお渡しするだけでした。

一昨年の支援集会で活動当初からお世話になっていた教育委員会の事理や教育長にお会いしました。
吉川様とお会いしたのもその時でした。
その時は集会が終わってから支援団体の方達がチラシ配りに奔放される姿を横目で見ながら帰途に着きました。

私は吉川様と挨拶をして帰途につきました。
自分は表に出てはいけないと勝手に決めていたのかもしれません。
今でも裏方に徹していますが、少し外に出て刺激を受けるのも良いと思っています。
それから支援者の方と同行して現場に二度行きました。
部屋にいるのと違っていろいろな事が見え、感じる事が出来ました。

また捜査員の方との情報交換も別の意味で刺激になります。
犯罪に対する考え方、防犯に対する認識。
どれもこれも役に立つ事ばかりです。

しかし警察寄りの考えにならないようにしないと皆様と温度差が出来る事もあります。

あくまで一般人と言うスタンスだけは崩さないように心掛けます。



2006年12月 6日

まもなく捜索の輪!が85万アクセスになります。

blogは先日10万を超え、携帯サイトも4万5千を超えましたので管理をしている3つのサイトで100万アクセスになろうとしています。

その他、本館・別館からも発信をしていますのでもう少し数字は行くと思います。

活動を始めて今月末で3年半になります。
サイト管理に拘る時間は相当なものだと思います。
寝る時間を減らして、休日の外出を止めて、子供と遊ぶ時間を減らして今まで続けて来ました。

それもこれも吉川様が置かれてる立場よりも遥かに恵まれていると言うその一言が理由です。
同じ子供を持つ親としても立場は変わりません。

ただ愛する子供が行方不明になっているか、いないかだけです。



2006年12月 5日

mixiの更新をしていないのでHPへのリンク元ページ数が1,000を切りました。

10月までは総リンク元数は1,150〜1,200  11月のそれは990。
ニュース記事を書かないとそれだけで150〜200は減ってしまいます。

面を広げる効果が日記更新をしないと顕著に数字として現われます。
少し前までは休日に日記の大量にニュース記事をアップしていたのですが土日出勤が続いた為に先月はお休みしました。
その影響がmixiのアクセス数だけでなくHPのアクセスにも少しだけ影響があるようです。

mixiからの訪問は当初思ってたより反響が少ないのでそれに時間を割く必要性を感じなくなりました。
もっと効率の良い方法があればそちらに特化しようと思っています。

mixiは当分今のまま細々と続けて行きます。


2006年12月 4日

11月28日、久しぶりに捜査本部の担当者様から電話がありました。

年末が近づいて来たのでカレンダーを取りに来て欲しいとの事。
警察官としては精一杯の気持ちだ思いますので少し時間が出来たら捜査本部に伺いたいと思います。

普段は時々府警に送ったメールの事で電話をするくらいですので月に一度あるか無いかの状況です。
お互い忙しいので「メール確認しておいて下さい」「今調べています」等の内容だけですぐに切ってしまいます。
お会いした時も警察署の前の喫茶店で30分くらい状況やお互いのお願い事項の話をするくらいです。
定期的にお会いして何らかの形でサイトに状況を公開出来れば良いのですが、進展が無いのか、秘匿なのか・・。

サイトに来て下さった方に報告が出来れば、「捜査が進展している」、「動きがある」事を伝えられるのですが・・・

それが見えないと協力にもなかなか繋がりません。


2006年12月 1日

掲示板に支援者の方から「TVのチカラ」の定期放送の要望コミュの話を頂きました。
何からの形でのメディアから発信は確かに必要な事です。

コミュを作るのはそれなりの気持ちや心構えが必要だと思います。

友梨ちゃんコミュは作った責任を十分感じながら管理をしています。
作った経緯、動きは自分自身が一番良く分かっての活動です。

それはmixi内での発信と「捜索の輪!」への誘導の為です。

しかし最近のmixiを見ていると以前よりも情報伝達、情報発信に翳りを感じます。
その為以前よりmixi拘る時間を減らしています。

それと「TVのチカラ」の趣旨と現実のギャップも私には納得出来ない事です。
発信する事に徹してくれれば良いのですが、ショー的な番組作りに当事者はどのように感じているのでしょうか?


2006年11月30日

最近捜査本部の担当者様とお会いする時間がありません。

先日も泉佐野警察署の前を2回、七山地区の近くを1回通りましたがどちらも寄る時間がありませんでした。

以前よりも泉佐野市・熊取町近辺に行く機会が増えたのに反して時間が無くなって来ました。

捜査本部訪問の目的には大きく「二つ」あります。
一つは事件に関しての情報交換、そしてもう一つはサイトに書く内容を作る為です。

前者は私の活動の中で現状を知る事が必要な為です。
そして後者は活動自体をサイトに訪問して下さった方に知って頂く為です。

捜査本部訪問は情報交換の内容よりも活動をしている事を知って頂く上で非常に重要な事だと思っています。

「今後の活動」

「新しい情報」

それも重要な事ですが、「捜査員との面談そのもの」が支援活動が継続している事を物語っていると思います。

「たったそれだけ?」と思われるかもしれませんが、重要な事だと思っています。



2006年11月29日

委託版と管理人版の携帯サイトを作っています。

少し前に捜索の輪!に管理人版を再リンクしてから何時の間にかアクセス数が逆転しました。

管理人版への訪問数は4,000アクセス/月、委託版は1,000アクセス強/月のペースです。
再リンクをしてから管理人版をリンクして下さるサイト様が増えたのが一番の原因だと思います。

携帯サイトはあまり更新出来ていませんが、記事の配信が有った時は極力更新するようにしています。
まだまだ工夫がいると思いますが、携帯でwebの閲覧をする事がないのでどうすれば改善出来るか分かっていません。
ただ単に存在しているだけですが、その存在自体が必要な事だと思っています。

これから益々携帯からの閲覧に比率が上がると思いますのでもう少し力を入れて行きたいと思います。


2006年11月28日

解析データを一昨年の8月から毎月保存しています。

月別の訪問者数や日別の動向でその時の情勢が蘇ります。
「あの時は行方不明事件があった」
「行方不明者になって何年になった方の記事が出た」

そんな動きがアクセス数を左右します。

今年の8月にアクセスランキングをトップページに貼りました。
8月の総ページ数は1,147ページ、9月のそれは1,212ページ。
そして10月は1,170ページでした。

リンク協力サイト様からの訪問やmixiからの訪問。
そして検索エンジンからの訪問が目に付きます。

時々異常値を見つけるとそのページにお伺いして確認をします。

以前からの協力サイト様もあれば、最近リンクを貼って下さった方。
日記で呼び掛けをして下さっている方も多くいらっしゃいます。

その一つ一つに皆様の気持ちが篭っていて何時も勇気付けられます。

見ず知らずの方が管理人の代わりに活動をして下さっている事に心より感謝申し上げます。



2006年11月27日

先週一日だけ早く帰る事が出来たので久しぶりに4日分の日記を一気に書きました。

土日が仕事の為に休日の書きだめがなかなか出ません。
しかし平日の帰宅後に1日分を書くのも大変な事です。

仕事をしていても「今日の日記に何を書こう?」と思いながら高速を走っている事が多いですが、帰宅時間が遅くなれば纏める事すら出来ない日もあります。

帰宅時間さえもう少し早ければ問題無い事なんですが、仕事有っての「捜索の輪!」ですので仕方が無い事です。
仕事をしなくても活動が出来るのなら辞めてこの活動に特化したいと思うこともしばしばあります。

しかし悲しいから現実はそんなに甘くないです。

と書いている日記で5日分になりました。



2006年11月24日

完全に200アクセス台になってしまいました。

先日一日だけ300を越えましたが、それ以外は200台。
400台から300台、200台と徐々に数字を落としていくのなら分かるのですが、いきなり200台を推移しているのは何か要因があるかもしれません。

以前は時間がある時は解析データを見ながらいろいろ分析をしています。
見覚えのないurlを見つける度にサイトに訪問し確認をしていましたが、今はその時間がなかなか取れません。
そして皆様のサイトにお邪魔して「お礼の書き込み」も全く出来なくなってしまいました。

初めて迎える新年にはリンク協力を頂いているサイト様に訪問して掲示板に昨年のお礼と継続のお願いをした事は嘘のようです。

不義理な管理人ではございますが今後ともご支援をお願い致します。



2006年11月22日

先日久しぶりに捜査本部の担当者様と電話で話をしました。

時々寄せられるメールや掲示板の内容についての意見交換やお願いをする為です。
事件の2日後の5月22日に泉佐野警察署の一室に捜査本部が設置されて3年6ヶ月。
府警から多くの捜査員が現地に乗り込みました。

私が初めて捜査本部の方とお会いしたのは事件から1年間近の5月17日。
突然会社に電話があり「今大阪府警にいるので今から行きますわ!」

大阪府警から会社までは車で10分足らずの距離。

いきなり会社に来て「警察のものです!」と言われたら対応に出た女性が驚くと思い、「今から警察の方が来られるので・・」と事情を説明しての待機でした。

それから頻繁に情報交換をすすようになりました。

警察の捜査とwebでの活動。
お互いの活動が上手くリンクして活動をして行きたいと思います。



2006年11月21日

昨日の日記で「新聞報道は私の知る限りでは9月12日が最後です。」と書きましたが、今日googleアラートのメールで記事の配信を知りました。

昨日大阪、東京、名古屋の3ヶ所で計4万枚のビラが配られたそうです。
節目の度にチラシ配りをされていますが、受け取った方々はどのように感じているのでしょうか?

私はwebの活動だけしかしていませんので直接相手と接する事はほとんどありません。
私が相手のいろいろを感じるのはアクセス数からが大きいと思います。

昨日記事の配信が有ったにも拘らずアクセス数は288でした。
そして今日は260。

blogを併せても400にも満たない数字になっています。

何故今まで400を維持出来ていたのか、何故急に200台まで落ちてしまったのか?

ビラを受け取る方の心中も以前と今ではアクセス数と同じように変わって来たのかもしれません。


2006年11月20日

友梨ちゃんが行方不明になってから今日で20日で3年半が経過しました。

事件当日からどれだけ「友梨ちゃん」「犯人」に近づいているのでしょうか?

捜査状況を教えて頂けないので少しでも近づいているのか?
それとも全くその場を動いていないのかが分かりません。

新聞報道は私の知る限りでは9月12日が最後です。
それも捜査の進展などでは無く「DNA登録」の内容だけでした。

捜査が友梨ちゃんに少しでも近づいていれば、時間と捜査員の努力で解決してくれるはずですが、その場に立ち止まっていれば何時まで経っても友梨ちゃんには辿り着けません。

少しずつでも友梨ちゃんに近づいていると思っています。
一日も早く友梨ちゃんの元気な顔を見る事が出来るよう捜査員の皆様宜しくお願い致します。

そしてそれまで皆様からの発信をお願い致します。


2006年11月17日

時々サイトの閉鎖やurlの変更の連絡を頂きます。

皆様いろいろ事情があったの事だと思いますが、本当に長期に亘って協力をして頂きました事に心から感謝致します。
現在のリンク協力サイト様は1,500強になっていますが、移転や閉鎖の連絡を頂いたサイト様はその作業をしていますが、そうでないサイト様に関しては変更や削除の作業はしていません。
その為正確な数字は当方でも把握出来ていないのが現状です。

しかしこれだけ多くのサイト様から発信をして頂いているにも拘らず未だに有力な情報には結びついておりません。

我々民間人には捜査自体の行為は出来ません。
発信する事で、関心、協力、そして情報に繋げて行くしかないと思っています。

それと当事者を差し置いての行動も控えねばなりません。

最近捜査当局やご両親との接触がありませんので、その意思や発信する内容のヒヤリングも出来ていません。

時間を取って久しぶりに面談しなければと思っています。



2006年11月16日

先日3週間ぶりにリンク報告を頂きました。

本当に久しぶりのリンク報告でした。
以前はほぼ毎日連絡を頂き、更新作業が日課になっていました。
しかし、それが日が経つにつれて減って来ています。

今までの最高は2日で100ほどのリンク協力を頂きました。
新聞に載り、Yahoo!に載り、多くの方に訪問して頂き協力して頂きました。

これからは同じ状況になってもその時のような反響にはならないと思いますが、まだまだ知らない方も多いと思います。
そして忘れかけている方、忘れてしまった方に再認識の意味でもマスコミからの発信が必要です。


2006年11月15日

今日は代休ですが一日家で仕事をしています。

今後の土日も出勤ですので日記の書きだめもしなくてはなりません。
しかし、仕事がまだ片付いていません。

以前は仕事7割、活動3割と言う感じでしたが、今は仕事9割、活動1割の状況になって来ました。
本当は1割まで落とすと何も出来ないので2割くらいになると思います。
その為完全にオーバーワークの状態です。
当然その1割を補完する為には睡眠時間を減らすしかありません。

睡眠時間を減らせば仕事に影響するので限度があります。
しか掲示板やメールの返信、リンク作業をしない訳にはいきません。
今まで当日返信、当日更新でやって来ましたが最近は2.3日遅れる事もあります。

幸か不幸か今は掲示板もメールも以前より激減していますので何とか乗り切れています。
しかし、それを乗り切っても何の意味もありません。

それは多くの方に関心を持って頂けなくなった為の結果でしかないからです。


2006年11月14日

もうすぐ友梨ちゃんが行方不明になって3年半になります。

11月に入って「携帯サイト」が41,000アクセス、「blog」が100,000アクセス、「HP」が840,000アクセスを迎えました。
委託版携帯サイトは14,000アクセスからスタートして頂いたので現在の実数は27,000アクセス。

本館サイトに友梨ちゃんのページをアップしたのが13,000アクセス弱でしたので現在で70,000アクセス強。
別館サイトが13,500、そしてmixiが17,000アクセスを超えましたので、合計1,094,500アクセスになりました。

3年半で述べにしてこれだけの方に訪問して頂きました。

リンク協力やポスター、チラシの配布、様々なご支援を頂きながらの活動です。


2006年11月13日

その中で「管理人版携帯サイト」だけは以前より訪問者様が増えました。

委託版を作って頂いてからは「捜索の輪!」から外して「本館サイト」からの発信のみにしていましたが、再リンクをし、mixiからも発信を始めました。

その甲斐有ってか、それとも訪問者が多いサイト様からがリンクは貼って頂いたのかは分かりませんが、夏過ぎから徐々に増えて来、10月半ばから急激にアクセスを伸ばしています。

最近は1週間で1,000アクセスにまで増えて来ました。

旗艦サイトに捜索の輪!が減っている中で非常に嬉しい状況です。

これが「捜索の輪!」に良い影響を及ぼしてくれれば有り難いのですが・・・。


2006年11月10日

先日の日記にも書きましたが、下げ止まりが出来ません。

永年400アクセスを維持してきましたが、最近のアクセスは300前後。
完全に少し前よりも100以上も減ってしまいました。
ここ数日は200台の日が続いています。

以前は数日そんな日が有っても不思議とすぐに400台に戻っていたのが、今はその兆しもありません。
このまま少しずつアクセスが減って行くのかを考えると次の手を考えなければなりません。
blogを作りSNSで発信を始めたのもその為です。

以前捜索の輪!の支援者の方がアクセスアップや検索エンジンに大量の登録をして頂いた事があります。
その助けも大きかったと今更ながら感じます。

掲示板の訪問者や書き込みも確実に減って来ています。
こちらは普段の半数まで訪問者が減ってしまいました。
書き込みも10月27日からありません。

当分この状況が続くのでしょうか?



2006年11月 9日

今度の土日は出勤なので来週分の日記の書きだめをしようと思っていたのですが今週分しか書けませんでした。

持ち帰りの仕事も捗っていませんし、こっちの方も全く進んでいません。
少し前ならニュースや支援者からの連絡等の事を書いていましたが、ニュースの配信はないし、連絡もありません。
捜査の方も動きは見えませんので毎日何を書こうかと悩んでいます。

このままでは土日の休み以外にももう1日休みを入れないと空白の日が続きそうです。

警察、マスコミ、教育委員会、支援者。

何か動きが欲しいです。



2006年11月 8日

以前「移植のサイト」の事を書いた事があります。

移植の事に拘ったのは和歌山の「みつみちゃん」が最初でした。
その後「山田さん」や「ななみちゃん」などのサイトをリンクして捜索の輪!からの発信を始めました。

みつみちゃんは無事帰国され、現在は元気に学校に通えるほどに回復しました。
山田さんは奥様から連絡を頂き、「相互リンク」と言う形で発信を続けて参りましたが、偶然にも私の誕生日の日に他界されました。

その後、「ななみちゃん」のリンクを貼り、連日サイトに齎される現地からの様子を見守っておりましたが、一昨日無事帰国されました。
2度の移植手術に小さな身体が良く絶えてくれたと思います。

これからは国内で状態を見ながら少しずつ普通の生活に戻れると思います。

多くの方の支援とご両親の献身的な看病で一つの小さな命が救われました。



2006年11月 7日

先日500〜600あったアクセスも先月末から完全に失速しています。

300台は当たり前、200台になる日もあります。
その為に掲示板への訪問者様も今までの数十アクセスが今は20ほどまでに落ち込んでしまいました。

失速の原因は今から検証していかなければなりません。

「内部的な原因なのか、外的要因なのか?」

「世間の関心の薄れがここまで進行してしまったのか?」

「関心を持って貰う事は難しい事です。」

「持ち続けて貰う事はもっと難しい事です。」

それが今の年月を考えると、これから益々難しくなる事は確実です。

それを如何に訴求をし、協力に繋げて行くかが今後の課題になって来ます。



2006年11月 6日

11月3日、blog版「捜索の輪!」のアクセス数が10万を超えました。

blog開設は2005年2月13日。
当時幾つかのblogに登録をして「楽天」だけを残して今に至っています。

開設から620日強、記入率は81%、日記数は517になります。
平均アクセス数は159/日ですが、一時期ある事件の影響で数日間アクセスが爆発的に増えたのでこの数字になっていますが、普段のアクセス数は100前後です。
延べ10万人の方にお越し頂けた事は活動をして行く上で大きな励みになりました。

日に何千、何万のアクセスになる有名blogと違い、地道に続けて行く事しか出来ませんが今後とのご支援をお願い致します。



2006年11月 2日

平日はmixiの更新が出来ていないので「捜索の輪!」への誘引効果が薄れます。

blogの更新は平日はほとんど欠かさず更新していますが、mixiの方は時々抜けてしまいます。
ミクトモさんが少ないのでどうしても「ニュース記事」を書いて「集客?」を図らず得ない状態です。

しかし、話題のニュース、関心のあるニュースが少ない日、書かない日は極端にアクセスが落ちます。
普段のアクセス数は一日数十ほどですが、集中して「ニュース記事」を書くと日に数百のアクセスになります。

アクセス数を増やす事が目的ではありません。
しかし、数を増やさなければ友梨ちゃんの事を多くの方に知って頂く事は難しい事です。

webでの情報発信はこちらから行くのでは無く、皆様に来て頂く。
その為には何か呼び水になるものが必要になります。

それがmixiでは「ニュース記事」なのです。



2006年11月 1日

27日、28日のblogのアクセス数が久しぶりに100を超えました。

以前は100アクセス以上の日が数日続いて一日100を下回る事が多かったですが、最近はその全くの逆の状況です。

訪問しない、コメントを書かない、足跡を残さなければ、そうなる事は当然かもしれません。

HPを開設した頃は数少ない相互リンクの方のサイトに毎日お邪魔していましたが、数が増えるにつれて、捜索の輪!の活動を続けて行くにつれて減って来ました。

「訪問しないと、来てはくれません」

当然と言えば当然の事です。

お互い行き来し合いながら交流を深めて行くのは、webだけではなく普段の生活でも同じ事が言えます。

その基本的な「礼儀」を忘れてはいけない事は分かっているのですが・・



2006年10月31日

28日の捜索の輪!のアクセス数が620でした。

先日の長野県の女児行方不明の報道が有った時は570アクセス。
どちらもyahoo!カテゴリーからの訪問です。
トップ > 生活と文化 > 犯罪 > 行方不明者 >
そして「捜索の輪!」へ階層が下がってきます。

普段はリンク協力サイト様からの訪問がほどんどですが、検索エンジンからの訪問が増えた時は何かの事案が発生している時です。

多くの方に訪問して頂ける事は非常に嬉しい事ですが、その陰には同じような事案がある事は複雑です。
しかし「友梨ちゃん」の事も同時に知って頂けますので、緊急時には拙サイトにリンクを貼って発信を行っています。

貼った翌日にリンクを外す事もあります。

先日の事件の時も翌日にリンクを外しました。

自分には関係無い事でも関心を持って、何かの協力や呼びかけをして頂ければと思っています。



2006年10月30日

日曜日に日記の下書きをしていましたが、急遽、昨日の出来事を書きます。

昨日久しぶりにリンク元を調べていると、mixiのあるコミュに辿り着きました。
そこには先日のロスの行方不明者の情報呼び掛けをした方の日記が幾つか転載されていました。

「この何処から飛んで来たのか?」とページを下がって行くと、私の日記も転載されていました。

転載されたのは日記だけでなく、コメントも全てでした。

↓(これがそのまま転載されていた)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=231855598&owner_id=4116881

日記だけならそれほど腹は立ちませんが、ミクトモさんのコメントも一緒に転載されれば黙っている事は出来ません。
そして「行方不明者の支援活動」をした事が無い奴に「詭弁」だと決め付けられ、おまけに「疲れる」とまで書かれていました。

それでその女にメッセを送り、大人気ないですが、日記数日分のコメント欄にも苦情を書きました。

無断転載の件はmixi事務局に報告しましたが、最近のmixiの動向を見ているとあまり期待は出来そうにありません。

今日その女から「確かにマナー違反」と返事が来ましたが、「確かに」とは?

「クレームが入ったから仕方なく削除してあげましたよ!」って感じがします。

例のコミュの転載は削除されていましたが、問題の日記のurlはそのまま残されていました。

「何故全て削除しない?」

全て削除されていれば、この日記を書く事は無かったと思います。

そしてこの女のように他人を晒し者にするような事もしなかったと思います。

何故なら自分もこの女と同じレベルになってしまうからです。

私心を捨ててこの活動に従事して来ましたが、こんなに腹が立ったのは久しぶりです。

この日記は私が管理する2つのHPとblog全てに転載しました。

この女のページ
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=371680

<mixi日記より>


2006年10月27日

mixiからの訪問者が増えて来ました。

コミュニティからの訪問、トップページにリンクを貼って下さっている方からの訪問。
そして日記からの訪問です。

日記は8月中頃から積極的にニュースを書き、本文の下にリンクを貼るようにしています。
その甲斐有ってか、話題になったニュースを書いたページからの訪問が増えて来ました。

ニュースを書くのは、手段であって、目的はHPへの誘導。
出来る限りニュース記事を書く事で不特定多数の方をHPに導く事が出来ます。
私は「ミクトモさん」が少ないですし、その方々は既に「友梨ちゃん」の事を知って下さっており、協力をして頂いています。
その為にニュースから多くの方に来て頂き「友梨ちゃんの事案」を知って頂きたいと思っています。

今の動きで「待ち」のスタンスから少し「攻め」のスタンスになったと思います。
しかし何でもかんでもニュース記事を書いているつもりはありません。

「人として・・」

そんな感じのする記事を選んでいるつもりです。



2006年10月26日

先日の行方不明の女児の公開捜査が有った影響で、昨日の「捜索の輪!」のアクセス数は570でした。

多分「行方不明」がキーワードで検索でヒットしたのでしょう。
以前から何度か「行方不明」のニュースが配信される度に起こる現象です。

「行方不明になっています」

「行方不明から何年が経過しました」

無事保護された方もいれば、最悪の結果になった方。
未だに行方が分からない方も大勢います。

報道される事で犯人が自首した事案も多々ありました。

時効前の特番で有力情報に繋がり、犯人検挙の事例もあります。

テレビからの発信は「投網」のようなものです。
webの発信もポータルサイトはテレビのそれに似ています。

しかし、我々は「投網」や「底引き網」のように一度に大量の情報発信は出来ません。
「一本釣」のように「一つ一つ」、「一人一人」情報を繋いで行く事しか出来ません。

一人では一本の竿でしかありませんが、大勢になれば「延縄漁法」のように連なります。

その連鎖が「情報の伝達」であり、「情報のネットワーク」だと思います。



2006年10月25日

新聞の報道も年々減って来ました。

「年々」

この言葉を使うような時期になった事で時間の残酷さを感じずにはいられません。

以前は5月20日や11月20日が近づいてくると新聞社の取材を毎年受けていましたが、この先はどうか心配になります。
「捜索の輪!」を取り上げてくれる事やマスコミが動いている事で「世間の関心」「メディアの関心」を感じます。

それがこの直近の11月はどうでしょうか?

「マスコミの関心」と「世間の関心」

「マスコミの関心が無くなったら報道されない?」

「世間の関心が無くなったからマスコミは記事を書かない?」

マスコミから喚起を起こして頂けたら・・・



2006年10月24日

今日は営業車で帰って来ました。

岸和田を出たのが7時半、このまま会社に帰ってからだと10時半頃になってしまいます。
朝は通常よりも早く出ないといけないですが、早く帰れるので直帰の方が楽です。

平日の更新がここ一年、特にここ半年まともに出来ていません。
以前書いたように休日に日記の下書きをし、毎日アップする日が続いています。
1年前までは家に帰ってPCに向かってその日思った事や出来事を書いていましたが、今は機械的な作業になっている時が多々あります。
自分で言うのも変ですが、書いた時の思いと、アップした時の思いが違います。

今日は家に帰ってから書いていますので今の心境そのものです。

時間の経過は残酷ですが、時間が無いのは手抜きに繋がります。

もしかしたら以前からご来訪頂いている方が最近の日記を読んだなら「以前と違う」と思われるかもしれません。

少しで気持ちが伝わるように努めて参りますので今暫く余裕が出来るまでご容赦下さい。

今日は近況とお詫びの内容になってしまいました。



2006年10月23日

最近捜査本部の担当者とお会いする時間がありません。

今日も泉佐野警察署の前を2回、七山地区の近くを1回通りましたがどちらも寄る時間がありませんでした。

以前よりも泉佐野市・熊取町近辺に行く機会が増えたのに反して時間が無くなって来ました。

捜査本部訪問の目的には大きく「二つ」あります。
一つは事件に関しての情報交換、そしてもう一つはサイトに書く内容を作る為です。

前者は私の活動の中で現状を知る事が必要な為です。
そして後者は活動自体を訪問して下さった方に知って頂く為です。

捜査本部方部訪問は情報交換の内容よりも活動をしている事を知って頂く上で非常に重要な事だと思っています。

「今後の活動」

「新しい情報」

それも重要な事ですが、「捜査員との面談そのもの」が支援活動が継続している事を物語っていると思います。

「たったそれだけ?」と思われるかもしれませんが、重要な事だと思っています。


2006年10月22日

子供とは良し悪しは別に大人も真似をしたがります。

「悪い事をしてはいけない!」と教えるのは親であり、教師であり、大人であるはずです。
その「してはいけない事」を教えるはずの教師の所業が今回の自殺への引き金になった事を教師自身はどう思っているのでしょう。

「先生がしているからいじめても良い!」

これは生徒達の本心だと思います。

「甘え」や「責任逃れ」が彼らの中にあるのは当然ですが、子供が故の残酷さは今も昔も変わりません。

「カエルの解剖」や「カエルのお尻に爆竹」などもその類です。
私もその残酷な子供時代を過ごした一人です。
肯定はしませんが現実の事です。

生徒達は今回起こしてしまった責任を痛感して少しでも償いをと思って謝罪に行きました。
行った事で罪を償った事にはなりませんが、発端となった教師や教育委員会はどうでしょう。

謝罪と原因究明、そして二度と起こさない為への制度作りが残された遺族への最低限の責務だと思います。


2006年10月20日

今日で友梨ちゃんが行方不明になって3年5ヶ月になります。

友梨ちゃんのご両親やお身内の心中を考えると本当に辛くて永い年月を感じます。
第三者である私には「心中を察する」事は到底出来るはずもありません。

「出口の無い迷路を彷徨っている」

「ゴールの見えないマラソン」

全て始まりがあり、終りがあります。

「何時から何時まで」「何処から何処まで」

始点と終点があるから人は頑張れると思います。
目標があるからそれに向かって進む事が出来ます。

「終点と目標」は「友梨ちゃんの無事発見」である事は言うまでもありません。
しかし、「それは何時?何処?」

「明日なのか?明後日なのか?」

時間が過ぎ去って行くだけの3年5ヶ月では無かったと思います。

これからも諦めずに発信を続けて参りますので皆様のご支援、そして情報をお願い致します。


2006年10月19日

本日本館サイトが4周年を迎えました。

インターネットを始めたのは1999年の12月。
当時はダイヤルアップでいたので接続する度に「ピポパピー」
その後テレホーダイで少し料金が安くなりましたが、午後11時からが最大のネックでした。

今は常時接続の定額制ですのでメールチェック、webの閲覧は何時でも出来るので非常に助かっています。
更新作業も休日の昼間に纏めて出来ますし、掲示板のレスも時間を気にせず出来ようになりました。

友梨ちゃんの活動ももうすぐ3年4ヶ月になりました。
活動の原点は本館サイトの1ページからスタートしました。
6月にアップして8月には専用サイトとして完全に本館サイトと分離しました。

本館サイトも友梨ちゃんサイトもここまで続くとは想像していませんでした。

本館サイトは「そのうち飽きて止めるやろう」

友梨ちゃんサイトは「すぐに解決するだろう」

それが・・・。



2006年10月18日

車に貼っているステッカーをそろそろ貼り替えようと思っています。

今まで自宅で印刷した数枚の最後の一枚を貼っていましたが、ついに色褪せてしまいました。

「これが最後に・・・」そう思って貼り替えを今まで延ばして来ました。

しかしもうこれ以上今のステッカーで済ます事は出来ません。
色褪せたステッカーは活動そのものを色褪せて見せてしまいます。

いつも言う事ですがwebの活動もポスターの掲示もそうですが、伝える側の行動や思いがそのまま相手に伝わります。

「適当にしている」

「もう良いのや!」

そう思われない為には、いつも新しい情報、新しいツール、そして伝える側の気持ちが必要です。

今までも、そしてこれからも変わらない活動を続ける事で過去の事件では無い事を感じて頂く為にはその全てが新鮮でなければなりません。


2006年10月17日

HP版のリンク協力が1,500になったのは今年の6月6日。

そして今日現在のリンク数は1,527、4ヶ月で27の増は1,400から1,500の100までの10ヶ月よりも遅いペースです。
その前の100増は4ヶ月でしたし、その前の100は2ヶ月でした。

秋から冬にかけての協力は報道の関係で毎年少ないですが、昨年の8月から1年2ヶ月で127しか増えていません。

関心がなくなったのか、訪問して下さる方が固定化されたのか?

mixiのコミュでの協力は115になりましたが、その中でもHPと両方で支援して下さっている方もおられます。

「固定化」されてしまったらこれ以上の情報発信は出来ません。

サイトからサイトへの連鎖や拡散が情報発信には必要です。

何処かで止まっている事の無いように、古新聞にならないように絶えず新鮮な発信が大事です。

水と同じで留まったら情報も腐って行きます。


2006年10月16日

昨日、某メーカー系のメンテ会社の車に友梨ちゃんのステッカーが貼られているのを見かけました。

ポスターが貼られている車は本当に見かけなくなりました。
現場に近い泉州地区を月に2,000キロ走っても月に1・2度見るか見ないかです。
ステッカーに至っては以前より少しだけ見かける機会が増えたように感じますが月に数度位でしょうか?

「一体どれだけの車両に貼られているのでしょう?」

掲示板のポスターはいつも同じ場所にあります。
一方車はあちこちに移動しながら情報を発信する事が出来ます。
メディアの露出が減った今、必要な情報発信一つが車両のポスター、ステッカーです。

どちらもHP版捜索の輪!からDL出来るようにしていますので是非ご利用頂き発信のお手伝いをお願い致します。


2006年10月13日

最近のwebの活動は「mixi」が中心になっています。

HP、blogはどちらかと言うと「完全な待ちのスタンス」ですが、同じ待ちのスタンスでもmixiの機能の「ニュース記事」の日記を書く事で、訪問者が増えます。
もちろん全ての日記には「捜索の輪!」のリンクを貼っています。

しかし捜索の輪!への誘導は非常に少ない状況は変わっていません。

400アクセスを切る日が多い事で充分に役割を果たせていない事が分かります。
直近1ヶ月のmixiのアクセス数は3,000。
コミュからの訪問は100、トップページからは14、日記からの訪問は多い日でも8アクセスしかありません。

先月書いた日記の数は103。
効率の悪さはいつもの事ですが、それを覚悟の上で発信を続けていかなければなりません。

情報発信は継続する事が大切です。


2006年10月12日

本館サイトが今月の19日で丸4年、5年目を迎えます。

友梨ちゃんのページをアップしたのもそのサイトが最初でした。
「何か出来ないか?」と、いろいろ考えた末、webからの発信を思いつきました。
当時はwebからの発信は警察・自治体くらいしか無かったと思います。

あれから「捜索の輪!」として別サイトにし、「携帯サイトは無いか?」との問い合わせに「携帯サイト」を作り、「blog」が流行っていた時には「blog」を作り、そして今年は「mixi」に入りました。
私は不器用な人間ですので、あまり外での活動には向いていません。
その為に「自主的・自発的」に活動をして下さる方が協力者の中から出てくる事を期待しながら日々活動を続けております。

多くの方がチラシ配りやポスター貼りを行って下さっていますが、全て個人単位、会社単位の行動です。

しかしその動きは確実に根付いていると思います。


2006年10月11日

10月7日

HP版「捜索の輪!」の掲示板のアクセス数が10万を超えました。

掲示板を作ったのが2004年2月15日

それまでは「本館サイト」の掲示板しか無かったのでそこに足跡を残してくれていました。
しかし、「本館サイト」は趣味のサイトですので、仲間が訪れた時に書き込みを見て「非常に重い内容に躊躇した」と言われた事がありました。

その為、「本館サイトの掲示板」と「友梨ちゃんサイトの掲示板」を分け、現在に至っています。
もちろん仲間のサイト60以上で友梨ちゃんの呼び掛けをして頂いております。

当初「捜索の輪!!」を本格的立ち上げた時に作ろうと思いましたが、「書き込みに対しての責任が何処まで持てるか?」を自問した結果、開設が遅れてしまいました。
掲示板の管理は「書き込みに対しても管理・責任」が生じます。

友梨ちゃんのサイトの掲示板ですので、細心の注意を払わなければないません。
「中傷」はもちろん、「安否に対しての無神経な発言」、「アダルトサイトの宣伝」、「悪ふざけ」
そして、上記全てに「敏感」に反応される方も多くいます。

友梨ちゃんの親御さんも見て下さっていますので「酷い内容の書き込み」は親御さんの目に触れないようにすぐに削除しなければなりません。
この掲示板は管理人の判断で削除を積極的に行う掲示板です。

また「反論」は「あらたな反論」を生むだけです。

そしてそれに対する「反論」

「感情」と「感情」がぶつかる場にはしたくありません。
相手の考え、延いては人間性まで及言してしまう事も多々あります。

「そんな掲示板を見た方がどう思うか?」

「中傷」は嫌ですが、「反論」はもっと嫌です。
「中傷」は書いた事でスッキリするかもしれませんが、「反論」は書く事で余計気分を害します。
「書かずにはおれない気持ち」は分かりますが、その時は「無視」して下さい。
そうする事で後々まで嫌な気持ちにならずに済みます。

友梨ちゃんの事を心配して訪問して下さった方ならご理解頂けると思います。



2006年10月10日

blogの日記が500件になりました。

開設から約600日、日記記入率は81%です。
途中から土日を休刊日にした為100日は休みを頂きました。
友梨ちゃんの事、その他の行方不明者の事、移植の事、その他の時事問題。

この活動は既に3年以上、持久戦は間違い無いので、毎日短い文章ですが書くようにしています。
土日を休みにしたのも、その持久戦を考えて、滞る事の無いように小休止を入れています。

プライベートの日記でも毎日書く事はネタ探しの苦慮します。
しかし内容が限定されているこのblogでは日常茶飯事の出来事は書けません。
書いたとしても「友梨ちゃんのポスターを見かけた」「ステッカーを貼っている車を見た」等の内容に限定されます。

このblogは友人と同じ時期から始めましたが、その友人の日記数は870を超えています。
いつも非常に精力的に更新をされていると関心していますが、私には今のペースが精一杯です。

これからも地道ではありますが発信を続けて参りますので皆様からのご支援をお願い致します。


2006年10月 6日

例の騒ぎの中ですが、少しずつ支援の輪が広がっています。

お陰様でコミュのご参加が今日で110名(管理人含む)になりました。
ココでの情報発信はまだまだ不十分ですが、今の状況を維持しつつ「腰を据えて」発信を続けたいと思っています。

今日、岸和田で昼食を食べた店のレジの横に友梨ちゃんの白黒のチラシが多数置かれていました。

事件当初から捜査員が使っているタイプのチラシで「本年5月」の部分が手書きで修正されているものです。

今回のように店頭に置かれているを私は初めて見ました。
1枚貰って来ましたので今度の休みにHPの方にアップしようと思っています。

捜査費用の関係でしょうか、紙質も非常に悪いものですが、それだけに余計に時間の経過を感じさせられました。

<mixi日記より>


2006年10月 5日

私は今でも今回の事案は間違っていたと思っていません。

「功罪」を考えれば「罪」の部分があった事は事実です。
しかし、「罪」に目を瞑ってでも「功」の可能性にかける。

「吉川友梨ちゃん」の事案もそうです。

以前「名前や顔写真が氾濫し、その責任を取れるのか?」と言われた 事があります。
それよりも消息・情報・発見にかけるのが行方不明者への情報発信です。
もちろんご両親も同じ気持ちです。

今回は「携帯番号の露出」が問題になりましたが、その為に「チェーン」は悪いと言われています。
そしてその忠告で削除をされた方も非常に多くいらっしゃいます。
しかしその忠告(糾弾)に問題があります。

例えば車内でお年寄りに席を譲ろうとして「年寄り扱いするな!」と言われれば、「二度と譲らんわ!」と思う方もいると思います。
逆に「ありがとうございます、すぐ降りるので良いですよ!」と言われれば「伝えた気持ち」の拠り所はあります。

今回の「正義の使者」の行為はその後者ではなく前者でした。

おまけに「携帯番号」を明記している日記を「ご丁寧に」検索してそのurlまで貼っています。

その方は「これで今回の騒動は収まった!」と充実感で一杯だと思います。

また、「今回こうなる事は分かりきっていた」など結果論でものを言う「にわか評論家」まで登場しました。

しかし今回の件が終息して全てが収まったと思ったとしたら、その人達は今回の事案だけしか見ていなかった事になります。

それは先に書いた「席を譲る」のと同じ気持ちが今後出てくるであろう他の事案にも影響が出る事まで気がついていないのです。

結果今回の糾弾は「正義の使者」では無く「情報伝達の妨害者」に変貌する訳です。

これは携帯番号の露出だけでは済まない大問題だと私は思っています。

今回の件は今日の日記を最後に書く事は無いと思いますが、情報発信が如何に大切かをもう一度考えて欲しいと願っております。

「一番大切なものは何か?」

「携帯電話に大量の電話が掛かって来る事」より、
「サイトがビジーになる事」より、

「行方不明者の消息・生存」なのです。

<mixi日記より>



2006年10月 4日

チェーンメールは悪。

私は今でもそう思っていません。
何故なら情報の伝達は規模・スピードに違いはあっても「人から人」「サイトからサイト」に繋いで行くしか方法がないからです。

誰かの日記に「不特定多数が見る」「発信したらその責任は自分では持てない」だからチェーンは悪いと書かれているのを見ました。

それはチェーンだけの事ではありません。
webにアップした時点でその危険性はあります。
ですので一番大事なのは「ソースの問題」になって来ます。

私は日記に「コミュ」と「HP」のurlだけを載せています。
必要充分な情報だけを伝達する事が大事です。

多くの方が今回の事で「後悔している」「反省している」「迷惑を掛けた」等々のコメントを載せています。

しかし、「一人でも多くの方に知って頂きたい」と日々発信を続けている事案がある事も忘れないで頂きたいと思います。

<mixi日記より>


2006年10月 3日

「HP」から発信を続けて3年3ヶ月。

リンク切れもありますが現在のリンク協力サイト様は1,500サイト。
これだけの年月を掛けて今の「捜索の輪!」のネットワークが出来ました。
活動当初は「リンクフリー、コピーフリー」のクレジットを入れて最初のページをアップしました。

今回のような瞬間風速が吹いたのか2度目の新聞掲載の時でした。

その時は3時間で6万アクセスを超えました。
そのお陰で1日で100サイト様にリンクを貼って頂き活動を軌道に乗せる事が出来ました。

mixiではこのアクセス数には耐えられない数字です。
今回その点にも問題が有ったと思います。
私は今回の件ではmixiの許容量にも大きな問題があったと思っています。
脆弱なシステムがアクセス数、コメント数に耐えられなかったのです。
それを考えると、mixi内でチェーン化された日記は混乱を招くだけに終わってしまうのでしょうね。

そして日記に書かれた携帯番号。
載せた事にも問題がありますが、掛けた連中はもっと問題ありです。
これからは「書かれた内容」と「mixiのバックボーン」を充分に考えた上で判断したいと思います。

以前、2週間で移植の為の募金が目標額に達したのはmixi内のネットワークが大きく貢献したはずです。
その時も今回と同じような「チェーンメール的」な動きだったはずです。
しかし「罪」の部分は無かったと思います。

それは「内容」の一言に尽きると思います。

広く、早く情報を伝達する必要が有る時はこれからも発生します。
しかし今回の件でその空気が薄れたようにも感じます。

<mixi日記より>


2006年10月 2日

「HP」より「blog」、「blog」より「SNS」の方が連帯感が強い媒体である事が今回の件でよく分かりました。

ミクトモさんが「日記」に書いている「緊急告知」を見て今回多くの方が賛同・協力をしました。

「それをしないといけない事」と思った方も多いはずです。
私もミクトモさんの日記を読んだ翌日にコピペした日記をアップしました。

「blog」は「TB」や「最新の日記」から情報を得る訳で「SNS」と似ている部分が多々あります。

以前「blog」で行方不明者(発見済み)の情報が飛び交いました。
この時も大きな反響になりましたが、情報を呼び掛けた方の不謹慎な日記の存在が大きな反響になり、その存在を知った方の意見が、知らない方の批判を受けると言うとんでもない結末で終わりました。

自分のページに居ながら相手の情報の一部を見る事が出来るのは「blog」そして「SNS」です。

その為に向こうから情報が飛び込んでくる為に容易にそして安易に転載してしまう恐れがあります。

その点「HP」はこちらから相手のサイトに行かない限り情報を得る事が出来ません。

<mixi日記より>


2006年10月 1日

15年前の今日、横浜で1人の女の子が行方不明になりました。

名前は「野村香ちゃん」
行方不明当時8歳ですので今は22歳になっています。
下記にURLを貼っておきますので皆様にもう一度思い出して頂きたいと思います。
そして情報をお持ちの方は是非警察までご一報をお願い致します。

http://www.30ans.com/kaori/kaori01.htm

状 況 平成3年10月1日
横浜市旭区本宿町の
自宅付近で行方不明
名 前 野村 香
年 齢 昭和58年3月30日生まれ
現在22歳
行方不明当時 8歳
特 徴 ショートカットヘアー
目がくりっとしている
服 装 白色のヨットパーカー
紺色のジーンズのスカート
ピンクの長靴
所持品 薄茶色に青と白のチェック柄の傘
赤色のキティちゃんの絵入りバック



2006年9月30日

今回のロスの行方不明事件の日記の件で非常に後味の悪い思いをしている一人です。

http://www.youtube.com/watch?v=tQC-aDJBgY8 には「善意による行動は何をしても許されるのでしょうか?」
と書かれていました。

「一部の日記にご家族の電話番号が書かれていた事」と「行方不明者の情報呼び掛けをしている事」が混同されている内容になっています。
ほとんどの方が「純粋」に発信をしている中でこのコメントは「善意」を否定しているのと同じ事です。

私は3年3ヶ月前から「吉川友梨ちゃん事件」の情報の呼びかけを続けています。

当然その中に「善意の名を借りた・・・」が出現する時があります。
その一部の方の行為で全てを排除する事は出来ません。
排除されるのは「その一部」であって「全部」であってはならないのです。

今回ご家族の方に多大な迷惑が掛かった為にこのような対応になったと思いますが、冷静に「現実」を見ていないのは「我々」では無くて「関係者の方」だと思います。

「情報発信」は出来るだけ「早い時期」に「広く」訴求する事が大切です。
しかし「罪」の部分が「功」の部分も否定する結果になりました。

もう少し「冷静」に且「真摯」な気持ちで管理をしていかないと協力の気持ちが萎えてしまいます。
そしてこれから芽生えて来ようとする気持ちにも水を差す結果になります。

今回の対応は非常に不味い対応だったと思います。


2006年9月29日

今月6件のリンク協力をして頂きました。

5件は掲示板で残りの1件はメールで連絡を頂きました。
その中で「吉川友梨NET様」が閉鎖された為にこちらのサイトをリンクして下さった方がいらっしゃいます。

以前サイトにアップしているポスターや報道記事の転載の承諾の連絡を頂き、サイトを開設した方もおりましたが、そのサイトも閉鎖されました。

ご自身のサイトの一部としてアップされているページはそのまま残っている事が多いですが、「友梨ちゃん専用サイト」はどれくらい残っているのでしょうか?

「捜索の輪!」はこのような事案としては最初の試みのサイトだと思います。
その中で幾つものサイトが開設され、そして閉鎖されて行きました。

更新されていないページも散見されます。
以前も書きましたが「行方不明から半年が経ちました」等々の記述がそのまま残っているのは問題が生じます。

その場合は必ず「アップした日付」を追記するか「経過年月の変更」をお願い致します。



2006年9月28日

「捜索の輪!」のトップページに貼っているアクセスランキングでmixiのコミュからの訪問が15番目になりました。

「順位」と言う表現はしたくないので「番目」です。
目に見える形で訪問数が分かる事で「反響」「反応」が見えて来ます。
強い部分はもっと強力に、弱い部分は補強しながら次の手を考える事も出来ます。

「如何に関心を持って貰うか?」
「どうすれば訪問して貰えるのか?」

mixiでも露出が足りなかったから「ニュース記事」を書くようにしました。
mixiを始めた頃とは趣旨が変わって来ましたが、今の私のスタイルは結局はこれに尽きます。

まだまだmixi内での訴求は出来ていませんが、少しずつ支援して下さる方が増えてきました。
コミュニティの参加者も95人になりました。
もっと多くの方に知って頂ければ、もっと多くの支援に繋がると思います。

一歩一歩しか前進出来ませんが、ゆっくりでも確実に、そして誠実に活動を続けて行こうと思っています。


2006年9月27日

今日国道26号線を走っていると「友梨ちゃんのステッカー」を貼っている車を見かけました。

以前に比べるとポスター、ステッカーを貼っている車も少なくなったように感じます。
車の後部のステッカーがどれだけの方が気が付くかは分かりません。
目の前に停車していても気が付かない、関心がない方も多いと思います。

私は前の部署の関係で「社名」や「業種」などが書かれている車が非常に気になります。
その癖で必ず社名を読み住所も確認します。

同じような内容の日記を前にも書きましたが、何事にも関心を持つ事で視野を広げる事が出来ます。

「この会社は何を売っている会社なんやろう?」

「何処から来てるんやろう?」

「どのような経緯でステッカーを貼ったのだろう?」

そう思いながら今日も車を観察しています。



2006年9月26日

「mixi」から「捜索の輪!」への一方通行から、双方向に変えました。

ただ単に「捜索の輪!」にmixiのリンクを貼っただけですが、先日「捜索の輪!」の支援者の方がそのリンクを見てすぐにmixiで呼び掛けを初めて下さりました。
大きく門戸を開いている「捜索の輪!」と「mixi」と言う巨大な閉鎖空間。

私もそうですが二つの媒体の中で活動をしている人が沢山います。

「HPで呼び掛けをする」

「mixiで呼び掛けをする」

「その両方で呼び掛けをする」

それが上手く融合した時、今まで以上の大きな情報媒体になると思います。

我々に出来る最初の活動は「情報の発信」です。



2006年9月25日

友梨ちゃんが行方不明になって3年4ヶ月が経過してしまいました。

2003年5月20日。
皆様はこの日に何をしていたか憶えていますか?
私は多分20日締めの大口得意先の伝票の整理を会社でしていたはずです。
しかし、確信はありません。

当時は「熊取町」の場所さえ知らなかったぐらいですので情報一つ持ち合わせていませんでした。
事件から程なく地下鉄の駅や南海電車の難波駅に貼られてるポスターを横目で見ながら会社に急いでいた記憶や新聞記事やテレビのニュースを人事のように見ていたように思います。

「何一つ痕跡も残さず9歳の少女は一体何処に行ったのか?」

「誰が彼女を連れて行ったのか?」

「悪戯なのか、怨恨なのか、営利目的なのか?」

犯人からの接触が一切無いだけに「事件の動機」が分かりません。

「何故犯人からの接触が無いのか?」

「何故痕跡がないのか?」

「彼女が目的だったのか?たまたま彼女だったのか?」

「何も見えて来ません」



2006年9月22日

漸くmixi内でも友梨ちゃんの支援の動きが一人歩きを始めたように感じます。

コミュニティ「吉川友梨ちゃんを捜しています」の参加者は95名。
日記にリンクを貼るようにしてから少しずつ増えて来ました。

またトップページにリンクを貼って下さっている方も増えて来ました。

「貼る事で貼った方の意識が変わります」

「それを見た方に情報が伝わります」

人それぞれ「価値観」は違います。
しかし、一つでも多くのページからの発信で「共有出来る事」があるはずです。
また小さな活動が沢山集まると大きく見せる効果があります。

小魚の群れ、小鳥の群れは外敵から身を守る為に集団で行動します。
大きく見せる事は弱者を強者に変える事が出来ます。

情報の窓口を増やす事は「組織」としての大きな活動に見えるはずです。
マスコミには到底及びませんが、瞬間風速ではなく絶えず吹いている「そよ風」のように風を感じて頂けると信じています。


2006年9月21日

blogもそうですが、mixiにもあまりコメントが付きません。

blogは管理人の私がレスを付けないのが大きな原因ですが、mixiも方も似たような原因だと思います。
mixiを始めた頃は「ミクトモを増やそう」と思っていましたが、今の少ない状況でも訪問が出来ていません。
ましてやコメントやレスも充分出来ていないのが現状です。

今は日記を書くだけで手一杯ですのでコメントが無いのはある意味有り難いですが、少し寂しさも感じます。

8月からニュースから日記を書くようにして、不特定多数の方に来て頂く事を主眼においています。
そこからどれだけの方が「捜索の輪!」や「コミュ」に来て頂けるか?

当分そのスタンスを続けようと思っています。


2006年9月20日

土曜日久しぶりに「捜索の輪!」のアクセスが300を切りました。

400を切る事は多くありますが300を切る事は滅多にありません。
3連休でしたのでPCを使っていた人が少なかったのか?

mixiの更新が出来なかった日ですのでその影響も少しは有ったかもしれません。
しかし、mixiからの発信以前にも300を切る事はほとんどありませんでした。

先の日記にも書きましたが「アクセスは生き物」です。
その原因はこちらからは推測する事は難しいです。

mixiはニュースから日記を書けばアクセスが確実に上がります。
日記を書かなかった土日の2日間のアクセスは300ほどですが、月曜日1日で700アクセス以上のアクセスがありました。

mixiの手法は単純ですが、HPの手法は・・・。



2006年9月19日

mixiに入って増えて来たと思っていたHP版「捜索の輪!」のアクセスがまた失速し始めました。

「アクセス数は生き物です」

日のよってwebを閲覧している方の総数が増減するのでしょうが、数字の動きは複雑です。
曜日によって、時間によって、天気・気候によって変わるのかもしれません。

何度も書きますが「400アクセス」が捜索の輪!の「基準値」です。
永年400台を推移していますので、400を切ると「今日は少ない」と思ってしまいます。

「400が一種の攻防ライン」なのかもしれません。
その数字を数日切ってしまうと「何かしなければ・・」と感じます。

今月に入って何度かそんな日がありました。

mixi効果は私の思い込みだったのかもしれません。



2006年9月15日

昨日、最近サボっていたblogからの転載作業を行いました。

15日分の日記を一気に更新。
「更新する事が大切」と言いながら2週間以上もサボっていた事に反省しています。
何故「更新」が大事かと言うと、サイトに来て下さった方が古い日付の日記を見てどう感じるか?

「なんや!もうええのか?」

「2週間以上も活動をしていないのか?」

「そんなに真剣では無かったのか?」

ここに書く「活動とは」掲示板の返信であり、日記であり、最近記事の転載であり、リンク作業です。
日々の活動を疎かにすると、上記のように感じる方もいらっしゃると思います。

日々の活動(更新)は、動きを感じて頂く為に必要な要素です。

「情報を必要としている者」、「協力して欲しいと願っている者」が動きを止める事は許されません。

何か一つでも「更新する事」でこちらも思いが伝わるはずです。



2006年9月14日

その為に何かの動きを感じて頂きたくて毎日日記を書いています。

しかし、友梨ちゃん関係は時々しか書けません。
捜査の動き、支援の動きが毎日あればそのご報告が出来ますが、何ヶ月に一度の時が大半です。
その為に時々捜査本部の担当者と情報交換をしています。

でも捜査状況には変化はありません(有っても教えては貰えませんが・・・)
そうなると「支援活動の状況」や「情報提供についての打ち合わせ」だけになってしまいます。

「捜索の輪!」には時々情報が舞い込んで来ます。
「悪戯」も多く有りますが、その中で担当者の方が「直接話を聞きたい」と言う内容もあります。
その為の「捜査本部」と「情報提供者様」との繋ぎの打ち合わせも行っています。

「失礼にならないように」

「ご協力して頂けるように」

しかし相手が警察なので「身元調査」のようになってしまい、ご協力者様の心象を害する時もあります。

警察との拘りは難しいものです。



2006年9月13日

泉州地区は「だんじり」の時期に入りました。

9月の16日・17日を皮切りに各地で祭りが行われます。
多くの「だんじり」のHPでは既に呼び掛けを行って頂いておりますが、熊取町の祭りで友梨ちゃんの呼びかけの動きがあるようです。

「何かしないと記事にならない」

「マスコミを動かす方法は?」

関係者の皆様は日々知って頂く事を考えています。
しかし、世間は益々他の関心が移って行きます。

3年3ヶ月と言う日々の永さが事件を遠ざけて行きます。
事件の解決、友梨ちゃんの発見は難しい捜査だと思いますが、関心を保つ事も難しい事です。

そして関心を持ち続ける事はもっと難しい事だと思います。



2006年9月12日

休日にmixiの日記を大量に書くと2.3日で1,000アクセス行く時があります。

mixiの手法に気が付いたのは8月の半ば過ぎ。
それから多い日には10件ほどの記事から日記を書いています。
それはあくまでコミュへの誘導、HPへの誘導の為です。

最近は批判めいた事ばかり書いている事が多くなりましたが、根幹は記事の内容よりも誘導です。
一時期HPのアクセスが増えました。
多分mixiからの訪問が増えたからだと思いますが、また減って来ました。

本来の友梨ちゃんの活動(更新)が出来ていないのが原因かもしれませんが、世間の動き(警察・マスコミ)が無いと非常に厳しいです。

アクセス数は関心のバロメーターの一種です。

減ると「次の手を」と考えてしまいます。



2006年9月11日

9日にblog版「捜索の輪!」が95,000アクセスになりました。

一日平均100アクセスとして100,000アクセスは50日後。
11月初旬になりそうです。

blogを作った切っ掛けはHP版へのアクセスに翳りが出て来たからと、流行っていたからです。
流行を追いかけている訳ではありませんが、人が集まる場ですので訴求には都合が良いです。

幾つかのblogに登録をしてその中で一番分かりやすくて、カスタマイズし易かった楽天に決めました。
しかし楽天内での反響よりも「yahoo!blog」や「livedoor blog」の方が横の繋がりが強い事に後になって知りました。

以前、家出少女の事件の時の反響は凄いものがありましたが、私はトラックバックと言う手法はあまり好きではありません。

横の繋がりを作と言うよりも自分のページの宣伝のように感じます。

「何かを知って、自分のページで訴求する」

その協力で良いと思っています。


2006年9月8日

今度の土日とその次の土日が仕事なので日記を書き溜めをしています。

昨日(7日)の木曜日は代休。
10日分ほどの日記を書きたいのですが、何処まで作業が出来るか?
結局3日分した記事を書く事が出来ませんでした。

最近飲酒事故のニュースが世間を賑わしていますので、どうしてもそちらの方に目が行きがちです。
直近のニュース、話題のニュースがテレビ、新聞、webから溢れています。
その沢山のニュースの中で如何に「友梨ちゃんの事を知って頂くか?」

我々は発信する事しか出来ないかもしれませんが、それを続けて行く事で少しずつ情報が広がって行きます。
HP、blog、SNSなどの蛇口を作っていますが、発信する内容は皆同じです。

HP、blogは友梨ちゃんのページです。
SNSは日々書いている日記にリンクを貼っています。
どれだけ多くの方をHP版「吉川友梨ちゃん捜索の輪!」に来て頂けるか?

出来ればHPに全て集約出来れば良いのですが、blogやSNSはその中で仲間を作って、その中を回っている方が多いと思います。
待っているだけでは訴求は出来ません。

また新しい集合体が出来れば参加して行きたいと思います。



2006年9月7日

最近blogの訪問数が時々200アクセス近くになる時があります。

普段は100アクセス前後の日は多いので約2倍です。
ログは最大50件まででリンク元の解析も出来ませんので原因は分かりません。

協力者の方がblogを通して呼びかけてくれている場合もあると思います。
もしかしたらmixiからの訪問かもしれません。

mixiのコミュも少しずつ増えて現在84名。
皆様のページに友梨ちゃんの顔が映るだけでも訴求効果は高いと思います。
参加して頂くだけで大きな発信になります。

是非コミュへのご参加お願い致します。



2006年9月6日

最近移植関係のサイト様への訪問が出来ていません。

移植が無事済んだ人のサイトのリンクを外さないのも時々経過を見たい為です。
多くの皆様が募金の協力、呼びかけの協力をして下さった結果、無事移植が出来た方もいます。
また、募金額が達成されましたが、残念な結果に終わった方もいます。
今尚病気と闘いながら移植を心待ちにしている方もいます。

それぞれ人生と命を懸けた闘いをしています。
その姿を一人でも多くの方に知って頂く事もこのサイトの役割だと思っております。

「命の大切さ」「善意の心」

何かを感じて頂ければ幸いです。



2006年9月5日

最近飲酒事故のニュースが増えてきました。

先日の福岡市職員による飲酒死亡事故が衝撃的でした。
一家5人が乗った車の後ろから猛スピードで追突し被害車両が川に転落。
幼い3人が犠牲になりました。
飲酒運転の罰則規定が改正され少しは減ると思っていた飲酒運転も施行当初から徐々に増えてきているようです。
特に公務員が起こす事故の報道は大きくなります。
「社会的信用がある」公務員だからこそ、法令遵守すべきところがその逆です。

事故は飲んでいなくても起こる時は起こります。
それを少しでも未然に防ぐ事、注意する事、慎重に運転する事。
飲酒はそのすべてを反故にしてしまいます。

自分は加害者にならない事が被害者を作らない事に繋がります。

「飲酒運転は即懲戒免職」

それでも充分ではないと思いますが、罰金、罰則だけでも無く、会社、役所からの抑止も必要です。



2006年9月4日

最近は報道も少なく、捜索の輪!に送られる情報も少なくなっています。

blogも土日を休刊日にしていても週5日の日記を書く内容が非常に乏しくなっています。
しかし、日記を書き続ける事で「活動が継続している事」「進行形の事件」だと言う事を多くの方に知って頂けると思っております。
「友梨ちゃんの事」「捜索の輪!の事」「事件そのものの事」「その他の事件・事故」
サイト運営の出来事も時々書きます。

4月以降帰りが遅くなる日が多くなりその為休日に日記の書き溜めをするようにしています。
しかし段々内容に苦慮するようになって来ました。
この日記も日曜日に書いていますが火曜日からの日記ネタがありません。
そこで以前下書きしていた「捜索の輪!」の各ページの説明を挟んで行こうと思います。

更新する事が大事な事だと思います。




2006年9月1日

先日「管理人の日記」を3分割しました。

あまりにもページ容量が大きくなり過ぎた為の処置です。
本当は「ゆりちゃんの輪!!」も分割したいのですが、何処で区切れば良いのか判らないので今のまま継続します。
PCのスペックと回線スピードが上がった今だから何とか閲覧出来ると思っています。

2003年は本館サイトの日記から関連する内容だけを転載していました。
日記が必要かどうかよりも、更新している事、活動を継続している事を知って頂きたくてページを作りました。

その後blogを作ってからは毎日書くようにしましたが、悲しいかな毎日書く内容に苦慮するようになり、土日を休刊日にして現在に至っております。
平日だけだと年間で240くらいになると思います。
blogを作って1年半ほどになりますのでその間だけで360。

事件とは関係ない内容も多いですが、「人の命」に拘る事を書いて来たつもりです。



2006年8月31日

時々アクセス解析でリンク元を調べています。

最近特に目に付くのは「blog」の活動です。
日記に書いて、TBなどでバトンを繋いで行って下さっている場面を良く見かけます。
友梨ちゃんの事を全く知らない人達が「お願いします。」と書いて下さっています。
その光景を見るとこの活動も一人歩きを始めた事を実感します。

またお盆休みの最中、確か14日だったと思いますが「yahooblog」でも動きがありました。

リンク、blogのTB、そしてSNSなど友達から友達へと情報が伝わって行きます。
その繋がりがまた次の繋がりへ・・。

本館サイトで知り合った方も回り回って捜索の輪に辿り着いた方もいらっしゃいます。
そこで管理人が同一人物だと知って驚かれた方もいます。

webは本当に沢山の入口があり出口があります。
町内の回覧板を回すように次から次へと情報と共に気持ちを運んで行きます。

ネットワークを駆使してこれからも情報網を大きくして行きたいと思います。



2006年8月30日

先日掲示板に地元の方からの書き込みを頂きました。

捜査員の方の動きなどを報告して頂きました。
私は時々泉佐野警察署にお伺いし、捜査員の方と情報交換をしています。
「捜査の状況」「サイトでの活動の話」「気になる書き込みの事」「情報提供者様への繋ぎの依頼」
サイトから捜査情報の発信は当然出来ませんし、詳しい内容は聞いていませんので軽く触れる程度です。

地元からのご連絡は「捜査員が日々どのような活動をされているのか」また「本当に捜査をされている事実」などが分かります。
3年3ヶ月以上経った今でも毎日事件現場に足を運んでいる姿も見られるようです。

「絶対友梨ちゃんを見つける」「犯人を逮捕する」「風化はさせない」熱い信念を持って捜査に当って下さっております。


2006年8月29日

先日久しぶりに記事の配信がありました。

8月18日付けの読売新聞です。
5月20日の3年前後は各紙からの配信がありましたが、その後は・・約3ヶ月振りの配信です。

これから益々記事の配信は期待できませんし、頼ってばかりではいけないとも思います。

「出来る事をやるだけ」

その信念の元永年サイト運営を行って来ました。
捜索の輪に多くの協力者、支援者が集まって活動して下さっています。

「誰かに伝える」
「バナーを貼る」
「日記に書く」
「ポスターを貼る」
「チラシを配る」

その一つ一つの活動が捜索の輪活動です。

小さな活動かもしれません。
しかし、その活動を続けて行く事で一人の活動が二人になり三人になって行きます。


2006年8月28日

mixiからの訪問者が少しずつ増えてきました。

ログを見るとmixiの日記の下に貼っているリンクからの訪問が確認出来ます。
アクセスランキングを貼ったのが8月6日。
26日現在でコミュニティのトップページから50、トピックから12、私のmixiのトップからは14、10アクセス以上ある日記もありました。
特に2年前の長崎の事件の日記は貼ったその日に13アクセス。

子供が関係する事件ですので関心が高いのだと思います。
休日でないと大量に日記は書けませんが、出来る限り訴求を続けて行きたいと思います。



2006年8月25日

先日捜査本部にお伺いした時ににポスターの話と同時に車に貼るステッカーの事も話に出ました。現在和泉市で少しだけストックをされているようですが、非常に要望が多いそうです。
増刷には費用が掛かるので問い合わせに相当苦慮されているそうです。

私はHPから印刷をしていますので、色褪せる度に自宅で都度印刷しています。
原本とは色もサイズも劣りますが、訴求効果は充分あると思います。

この前から不思議な事に日に2台とか見かける事が何度かありました。
思わず「ありがとうございます」と声を掛けたい衝動に駆られます。
そして「どんな経緯で貼って下さっているのか?」と聞きたいと思うのですが走行中ですので聞いた事がありません。

少しでも情報に繋がるよう、風化をさせないよう協力下さっている方を実際に見かける事は本当に勇気付けられます。

webは相手の顔も素性もほとんど知らない火同士の繋がりです。
しかし、気持ちは何処かで繋がっていると思っています。



2006年8月24日

昨日捜索の輪!の掲示板に、易者の方からの情報、ビラ配りの協力のご連絡、捜索隊結成のご連絡等々を頂きました。

3年前にたった一人で始めた活動も多くの方が自主的に発信の協力や捜査協力をして下さっております。
一人で始めて、今尚一人なら何も出来なかったと思います。

「自分が何をやれば良いのか悩んだ時もありました。」
「もっと外に出なければと思う時期もありました。」
ある団体は定期的に「ビラ配り」を行っています。

私は今まで一度も参加した事も主催した事もありません。
ひたすらwebで発信を続けているだけです。
でもその甲斐あって多くの方が自主的に活動を始めてくれました。

「捜索の輪!」はその切っ掛け作りの場だと思っております。
その為にサイトには多くの情報やツールを載せています。
事件の経緯、捜査の進捗、チラシやバナー、事件現場の様子も最近載せました。

遠くにお住まいの方でもwebなら何処からでも発信は出来ます。
お友達に伝えて頂くだけでも発信になります。

どうかこの事件を風化させない為にも発信をお願い致します。



2006年8月23日

最近、またスパムメールが増えて来ました。

今回は私のプライベートアドレスが被害に遭っています。
私の友人や得意先関係だけにしか使っておらず、web上での公開は一切していないアドレスです。
もしかしたら誰かのPCから情報を盗まれたのかもしれません。
いや、私かもしれません。

自分では万全だと思っていますので自分のPCからでは無いと思っていますが、安心は出来ません。
セキュリティは自分自身の為だけでなく、それに繋がる大勢の方の為に必要な事です。
一人の被害が100人の被害にもなります。
自分が被害者だと思っていても実は加害者にもなっている事を頭において自分のマシンの防御をしなければなりません。

しかし、このスパムメールの大群は何時になったら減るのでしょうか?



2006年8月22日

mixiをお友達から紹介して貰って4ヶ月になります。

当初は「捜索の輪!」の管理人とは別人として「友梨ちゃん」のコミュニティを作って情報発信をして来ました。
しかし、ある意味閉鎖的な環境での訴求は非常に難しいものでした。

「mixi内の訴求」と「捜索の輪!への誘導」

別人としての活動は「他の人も同じような活動をしている」と思って貰いたかった為と、「もっと自由にいろいろな思いを書いてみたかった」と言う理由からでした。
後者は「捜索の輪!」活動と別に続けて行くつもりですが、前者を続けて行く事には限界を感じています。
その為、数日前に「同一人物」だと宣言?をしました。

現在「旗艦サイト」として「捜索の輪!」を、ポータルの役目を果たす「blog」「携帯サイト」「mixi」と言う形でサイト運営を行っていますが、ポータルと言うよりもすべて横並びのような気がします。
それはそれで幅広く訴求出来る事にもなりますが、「知って頂く」目的だけになる懸念もあります。
「捜索の輪!」には多くの情報やツールをご用意しておりますので、一歩進んで協力して頂けるよう是非HP版「捜索の輪!」へご来訪を願い致します。


2006年8月21日

時々捜索の輪!の掲示板に寄せられた情報を大阪府警に送っています。

本当に沢山の書き込みを頂きます。
中には情報としての価値があるものも多くあります。

「直接警察に言うほどの事ではない」
「自信が無い、勘違いかもしれない」
「もう既に誰かが言っている」
「一年以上も前の出来事なので・・」

しかし上記の理由で埋もれている情報もまだまだあるはずです。
その中で、警察に言うほどでもないけど・・・気になる。
と言う情報が捜索の輪!に齎されます。

何度も書きますがそれを選別・判断するのは我々では無く警察の仕事です。
自信の無い情報でも過去に寄せられた情報と照らし合わせて「符合」するものが多ければ「信憑性」のある情報だと思います。
捜査本部には壁一面に捜査資料が保管されています。
送られて来た情報をその膨大なデータベースと照らし合わせ、似たような情報が過去にあればそれは価値のある情報になります。
その積み重ねが情報の信憑性を高めて行きます。

HP版捜索の輪!に大阪府警のメールフォームのリンクを貼っています。

皆様是非捜査本部に情報をお寄せ下さい。



2006年8月18日

捜査員の方と話をしていると「どれだけ情報に飢えているのか」が分かります。

「この前ある人がこんな事言ってました!」と言うだけで「是非その人に合わせて下さい」と真剣な表情で迫って来ます。
何度もココに書いていますが、「些細な情報の積み重ね」が大事な事なのです。

ジグソーパズルのように小さな断片が合わさって一つの情景が見えて来ます。
その情報が合うピースなのかそうでないのかはそのピースを手に入れなければ分かりません。
また、そのパズルのピースでは無く別のパズルのピースかもしれません。
沢山あるピースをそのパズルのピースかの選別をし、そしてその後でそれがそのパズルに嵌るかどうかを調べます。

本物のジグソーパズルのように全てが箱に入って入る訳ではありません。
皆様が持っているピースを捜査員が、情報提供者から集める作業から始まります。
1,000ピースのパズルを仕上げるのに数万、数十万のピースを集めなければなりません。
そしてその中からパズルに合うピースだけを残して行きます。

まだ友梨ちゃんのパズルは完成していません。
あとどれだけのピースが必要なのかは分かりませんが、まだまだピースが不足しているのだけは確かです。

皆様がお持ちのピースを是非提供下さい。



2006年8月13日

昨年のこの時期は、戦争についての番組が多くありましたが、今年は「靖国問題」ばかりです。

去年は戦後60年だった為に多かったのでしょうね。
今年は61年、「節目」にならないからでしょか?
しかし、終戦記念日の8月15日にむけてもう少し報道が有っても良いと思います。
そしてもっと戦争について今の若者に伝えて行く事が大事だと思います。

戦争の悲惨さを教えるだけでなく、日本が何故戦争に進んでいったのかも教える必要があると思います。
何事においても「原因」があり「結果」があります。
「馬鹿な戦争」と一言で片付ける前に子供さんにじっくり教えて欲しいと思います。

一般的には「第2次世界大戦」と言われますが、ドイツ、イタリア対連合軍との戦いがヨーロッパ戦線、太平洋を舞台にした日本対アメリカの戦いを「太平洋戦争」と呼ばれています。

ヨーロッパ戦線の勃発は1939年。
その頃日本、ドイツ、イタリアの3国が結束を強めていきます。
翌1940年には、日独伊三国同盟が成立しました。
日本は中国大陸に既に侵攻し、日中戦争(日華事変)を起こしていました。
しかし両国とも宣戦布告をしていないとの理由で、「戦争」「戦争では無い」との意見があるようですが、私には判りません。
ある書籍には「中国にいる日本人と日本企業を警護する為の駐留」との記述もありますが何れにしろ意見が分かれるようです。

日本は純然たる警護の為に駐留、そして事件を起こしたのは中国側との見解だったようですが、米国は「侵略」と見なし、「ハルノート」を示し、大陸及び周辺地区からの日本兵の撤退を要求しました。

日本側は資源の確保の為既にインドシナにも侵攻していましたので、「ハルノート」を最後通牒と見なし、開戦へと歩み出しました。

そう考えると「大陸」での出来事が一番の鍵になると思います。
日本と米国の見解の相違、本当の事実は?

1941年12月8日真珠湾攻撃。
そして、宣戦布告。
資源の輸送ルートを確保する為と米国の攻撃を防ぐ為(制空権確保の為)に太平洋、南方北方と展開して行きます。

しかし善戦したのは最初の半年だけでした。
翌年5月の珊瑚海海戦、そして6月のミッドウェー海戦で敗退。
本当ならこの時点で停戦を考えるべきでしたが、ガダルカナル戦 ソロモン海戦 と泥沼に陥って行きました。
1943年2月 にはついにガダルカナル島からの撤退。
翌年1944年7月にはサイパン島陥落。

既に優秀なパイロットは先の海戦で殆ど失ってしまい、今から訓練していては手遅れと、この頃にあの「神風特攻隊」が組織されました。
この時期が停戦を考える最後の時だったと思いますが、「亡くなった方に申し訳ない」と言う理由から?継続されました。
「戦艦大和」も然りです。
このまま無傷で終戦を迎える事は海軍の恥、戦友に申し訳ないとの理由で死出の航海に出て行きました。

そして無謀にも本土決戦。
国内いたるところに焼夷弾が落とされました。
そして運命の8月6日広島にウラン235型原子爆弾「リトル・ボーイ」投下。
8月9日にはプルトニウム239型原子爆弾「ファットマン」が投下されました。
広島の死者26万人、長崎の死者15万人。
そして日中戦争を含め、死者は260万人に達しました。

これだけ多くの犠牲を払って日本は一体何を得たのでしょか?
戦争で得るものは何も無いと思います。

唯一得たものと言えば「教訓」だけだったかもしれません。

2006年8月12日

新聞では何度も報道されていますが、20年の大きな節目の去年と比べて今年はあまりメディアに出る機会が少ないように思います。

終戦も然りです。
1945年の終戦から61年。
こちらも去年は特集が各局で組まれていましたが、今年はどうなんでしょうか?

空の安全は最近逆にトラブルが多いように思います。
本当に安全を祈っているのは「犠牲になった遺族」や関係者であってそれを実践する「航空会社」では無いように感じます。

私は前の部署の時に関空発のJAL340便で東京まで商談に行く機会が多くありました。
7時50分に関空を出れば、得意先がある浜松町に9時半に着く事が出来とても便利でした。

「利便性」は時として「安全を欠く」事があります。
利用者もそれを充分認識して、航空会社の選別が必要です。

「便利だから利用する」から「安全だから利用する」に代えて行く事が重要です。

2006年8月11日

ここまで来てまだそんな事を・・・。

何故「自主点検」なのでしょう?
「政府の関係省庁連絡会議」は自分が動きたくないだけなんでしょうか?
監督責任を果たさず、ここに至ってもその責任を放棄する発想って本当に憤りを感じます。
どうして「政府の公的機関」が自ら点検に行かないのですか?

「管理・監督・指導」はされる側がその人(組織)の能力を認めた時に初めて効力を発揮すると思います。
そんな頼りない事では「うちは大丈夫やから、取り合えず適当に貼っとけ!」となるかもしれません。

能力以外に、権威や規制があって初めて「自主点検」が機能するのだと思います。

現場にも行かずに机に座っているだけでは、昔の「守護」と同じです。
領地に行っている隙に他の者に出世を取られるとでも思っているのでしょうね。

今の官僚政治は昔の封建時代と全く同じ構図です。
何時までも「国民を支配している」と思っている官僚はもう要りません。

2006年8月10日

国からの重要な指導(通達)を二度までも見落としていたなんて・・・。

一度は吸水口の吸い込み防止金具の設置を業者に伝えなかった事。
二度目は安全点検を学校プールだけだと勘違いした事。
どちらも人命に大きく拘る重大な事案にも拘らず、それらを怠った事は職務怠慢としか言いようがありません。

二度目の通知の事をニュースで見ましたが、「掲記」部分だけしか読んでいなかったようです。
確かに役所から出ている書類は読む気もしないと思いますが、それは一般市民の論理であって役所の人間の論理であってはならない事です。

何が書かれているか最後までしっかり読んでいれば、プール側にその趣旨が伝わっていれば、通達通りの作業がなされていれば、事故は防げたかもしれません。

2006年8月9日

今日4時頃、携帯に捜査本部の警部補から電話がありました。

情報提供者についての問い合わせでした。
丁度泉佐野方面に走る予定でしたので泉佐野警察署近くの喫茶店でお会いする約束をし、急いで高速に乗りました。
5時前に約束の喫茶店に着き30〜40分ほど話をさせて頂きました。

いつも窓口になって頂いているS警部補と今回初めてお会いするK警部補と3人で昨日の日記の茨木警察署の監禁事件の事や、秋田、新潟の怠慢と言われている問題について話をしました。

その後警部補からはポスターやHPに掲載している電話番号の変更依頼と情報提供者への連絡のお願いがあり、HPの修正作業は盆休み行う約束をし、情報提供者様への繋ぎは早急に連絡を取るよう約束をし、5時半過ぎに別れました。

また区長がいろいろ活動をして下さっているようですので、また何かの形で皆様にお伝え出来ると思います。
もしかしたらその活動がマスコミにも取り上げて頂けるかもしれません。

2006年8月8日

この夏はプールでの事故が多いように思います。

先日の埼玉県の事故が切っ掛けでマスコミも大きく報道しているから感じるだけかもしれませんが・・・。
日曜日の事故は50mプールで小学2年生の男児が溺れたのですが、保護者が同伴していなかったのが不思議です。
先の埼玉県の事故でプールでの危険性を認識しているはずですが、今まで何も無かったと高を括っていたのかもしれません。

また監視員も小2の子供が深いプールに入るのを静止しなかったのも問題があると思います。
各プールの規制は分かりませんがうちの近所のプールは小4以上でないと深い方には入れません。
多分同じような規制はあったと思います。

また別のプールでも3歳の男児が溺れて死亡しました。
母親がジュースを買いに行っている間の事故です。
どちらも大丈夫だと過信していたのでしょう。

過信は禁物です。
細心の注意を払っても事故は起きます。
尊い命を無くさない為にも、悔いを残さない為にも責任を持って子供を守って欲しかったです。

2006年8月7日

8月6日の毎日新聞の記事の中で遺族の方のコメントが載っていました。

私は昭和天皇のメモを公表した事の是非よりも、ある人のコメントを読んで愕然としました。

==以下記事の抜粋==
東条英機元首相の孫の東条由布子さん(67)は、メディアなどで積極的に分祀反対理由を説明している。「祖父のことで、ご英霊の安らかな眠りを騒がせるのは申し訳なく思いますが、既に神になられた方々を現代の人間が、あの人は許すとか、あの人は間違いとか選別するのはおこがましいこと」と述べる。
==引用終り==

日本人は人が死んだら神になると信じている、世界的にも珍しい考えを持っている民族だと思います。
戦争で亡くなった多くの兵士がすべて神になった訳です。
そのような感覚をA級戦犯の遺族の中にいたのは大きな驚きです。

戦争責任で死刑になった人間の遺族なら少しくらい祖父の罪を感じて欲しいと思うのは私だけでしょうか?
それをさも「祖父は神」とでも言いたげなコメントには腹立たしく感じます。
第三者ではなく遺族からの発言には相応しくないコメントだと思います。

神になったのではなく祀られているのです。
その事が分からないから「分祀反対」を訴えているのでしょうか?
それとも自分の祖父が神でいて欲しいと願っているのでしょうか?

日本の宗教観がこんなところにもおかしな陰を落としています。

2006年8月6日

豪憲君の父親が質問状を秋田県警に提出した記事が載っていました。

秋田県警は「捜査上、支障がある」として回答しなかったそうですが、一体どんな支障があるのでしょうか?

素人が考えても「怠慢捜査」が原因で第二の殺人(豪憲君)が起こった事は明白です。
潔く謝罪する事しか今の県警に出来ないはずです。

父親の勝弘さんは「ゼロ回答だ」とし、国家賠償を求めることも「視野に入れている」との事です。
公務員には個人賠償責任は発生しませんので「国家賠償」になりますが、法改正をして個人賠償が出来るようにしないと、「失敗しても税金で払ってもらえる」との甘えが抜けません。

もしかしたらこの制度が今の怠慢に繋がっているのかもしれません。

2006年8月4日

埼玉県のプール事故のニュースが連日報じられています。

その都度「ずさんな管理体制」が次から次へと出て来ます。

市が業者に委託したのを丸投げした事実(再委託の禁止事項を無視)

市教に送られた書簡が市営プールにも適応していた事を知らなかった事実(市教の担当者が書面を適当に読んで学校プールだけが対象だと思った無責任)

ボルトが金具で固定されず、針金で固定されていた事実(最低限ステンレス製を使わないと錆びて切れるのは分かりきっている)

監視員が外れた蓋が何処の蓋なのかも知らなかった(危険箇所の説明すら受けていない)

毎日の点検のはずが今期の開園?時の一回切りの点検(市側も点検項目から漏れていた)

有資格者?が監視をしているはずが、高校生のバイト(それもマニュアルさえない)

市教の管理・監督が全くなされていないと言うか、舐められているとしか考えられないようなずさんさです。
「その為、適当にやっていれば良い」と思われてしまったのでしょう。

責任を委譲する以上はもっと威厳を持って厳しく監督・指導しなければなりませんが、ぬるま湯に浸かって仕事をしているのがそのまま委託業者にも伝わるのだと思います。
今回の事故の責任は一体何処にあるのでしょうか?
無責任・無関心の公務員、すなわち市教が一番責任があると私は思います。

厳しさが無いのが公務員、厳しいのが嫌だから公務員になった。
そう思わせる今回の事故でした。

2006年8月3日

一昨日栃木県の吉田有希ちゃん殺人死体遺棄事件で懸賞金が出たニュースを見ました。

栃木県警の当該ページも8月2日に更新されていました。
事件から8ヶ月、情報は相当寄せられているように感じますし、目撃情報も有ったように思います。
しかし事件解決に繋がる有力情報には至っていないようです。
行方不明になった栃木、そして死体が遺棄された茨城の皆様是非もう一度事件当日の事を思い出して下さい。

栃木・茨城県警察合同捜査本部
殺人死体遺棄事件に関する情報提供のお願い〜情報提供謝礼金制度が開始されました〜 平成17年12月1日(木)午後2時ころ、小学校を友達と徒歩で下校し、午後2時50分ころ今市市土沢地内で友達と別れた後行方不明になり、12月2日(金)午後2時ころ、茨城県常陸大宮市東町地内のおおみや広域聖苑南東約450メートルの山林内において遺体で発見されました。
  栃木・茨城県警察では、殺人死体遺棄事件として合同捜査本部を設置して捜査をしています。

http://www.pref.tochigi.jp/keisatu/hanzaisousa/hanzaisousa-imaiti.html

2006年8月2日

3年の報道が有ってから2ヶ月強。

あれから報道らしい報道は全くありません。
この時期に友梨ちゃん行方不明事件を知って頂くのは「ポスター・ステッカー」そしてwebだけです。

先日掲示板に「関西圏以外」の方からの書き込みを頂きました。
お住まいの地域ではあまり知られていないと書かれていました。

私は和歌山在住、大阪市内勤務、担当エリアが泉州地区と国道26号線に沿っての生活・活動エリアになります。
その為、事件現場や捜査本部に行く機会にも恵まれています。

時々情報交換の為に捜査本部の担当者様と面談したり、一人事件現場に行ったりします。

人一人行方不明になっている事、未だに全く手掛かりが見つからない事。
いつもいつも不思議に感じます。

突然女の子が行方不明になり3年以上も手掛かりが無いのは異常としか言いようがありません。

何故情報が出て来ないのか?
何故犯人に近づけないのか?
何故友梨ちゃんに見つからないのか?

人が行方不明になった事はそんな在り来たりの事でも良くある事でもないはずです。

大変な事件だと言う事をもっと分かって欲しいと思います。



2006年8月1日

昨日埼玉県の市民プールで小学2年生の女の子はプールの吸水口に吸い込まれて死亡しました。

吸い込まれないようにガードをしていた網が外れたのを監視員が補修をしようと工具を取りに行った間の事故です。
監視員が利用者に注意をしていたそうですが、「何故ポンプを停めなかったのか?」「他の監視員を吸水口の前に立たせていなかったのか?」悔いの残る判断でした。

その注意が何処まで浸透していたのかは分かりませんが、保護者にちゃんと伝わっていれば、全員にプールから出るように指示が出ていれば・・。
そんな事ばかり考えてしまいます。

事故が起こってから何を言っても仕方が無い事ですし、あとからなら私のようにいろいろ言えるかもしれません。
しかし、その全てを想定して監視する事が出来ていれば事故は起きなかったはずです。

今回早々に「市長のお詫び会見」がありましたが、その様子をテレビで見て、先の「パロマ事件」を思い出しました。
今回のお詫び会見はパロマ事件が無かったらもう少し遅れていたように感じました。
早々にお詫びをする事で非難の一端を回避出来るとの判断が大きく働いたと思います。

あまりにも人命や安全を軽く見過ぎた事故だと思います。



2006年7月31日

一昨日のwebと昨日の読売新聞の朝刊に警察官の怠慢の記事が載っていました。

交通事故現場で人が車両の下にいるのを気が付かず「物損事故」として処理していたそうです。
事故から4時間後に発見された時には既に死亡していたとの事で「新潟県警」は「即死」の発表をしています。
今回の事故に駆けつけた警官は2年目の新人?だったようですが、我々民間人は新人であろうがベテランであろうが「警官は警官」とて認識しています。

今回の事故処理に疑問を感じた遺族が「県公安委員会」に警官の懲戒処分を求め文書を送ったそうです。
人一人が死亡した(生存の可能性は否定出来ないが)事故のミスを単に「口頭注意」だけで済ます甘い体質。
そして本当に「即死」だったのかと言う疑いは拭えません。

今回この事を書くのは友梨ちゃん事件にもある意味大きく拘ってくるからです。
「警察の怠慢」「身内に甘い体質」「責任逃れ」
どれもこれも警察を信頼出来る内容のものではありません。
友梨ちゃん捜索の活動をしている我々としてはそんな警察の状態でも警察を信頼して情報を送って欲しいと思っているからです。

その為あえてこの日記を書きました。



2006年7月28日

本日、blog版「捜索の輪!」が90,000アクセスになりました。

一昨日はHP版が800,000アクセス、そして今月の10日に本館サイトが80,000アクセス。
携帯サイトは両方で71,000アクセスですが、委託版はカウンターを管理人版のカウント数を14,000アクセスくらいで引き継ぎましたので実際は両方で57,000アクセスくらいでしょうか?

管理人版は一時捜索の輪からリンクを外していたのでその間アクセス数が激減していました。
今は両方ともトップページにリンクをしていますのでほぼ同じ位の上がり方をしています。

また4月に作ったmixiの訪問数は2,300くらいになりました。
残念ながらコミュニティへの訪問者数は把握出来ませんが、こちらはまだまだ少ないと思います。

これらのすべてを合計すると延べ1,000,000人以上の方に訪問して頂いた事になりますので少しは発信の役目を果たせていると思います。

これからも出来る限り工夫をして訪問して頂けるように努めて参りますので皆様宜しくお願い致します。


2006年7月27日

今日営業車で走っていると、忠岡町の交番で友梨ちゃんのポスターを見かけました。

以前捜査本部に伺った時に「情報を必要としている警察の掲示板にポスターが貼っていないのはおかしい」と言いました。
「誰が情報を必要としているのか?」
親御さんであり、警察であるはずです。
情報を必要としている側からアピールする事でその必要性が伝わります。

当事者からの発信はそう言う意味で絶対必要な事ですが、交番の前をどれだけの人が通り、目を留めるか?
実は私は徒歩で交番の前を通る事は年に一度か二度しかないと思います。

では公共機関は?
役所、公共施設(市民ホール、市民会館、体育館)、学校施設。
これもほとんど入る事はありません。
交通機関は毎日通勤に利用しますが、立ち止まって見る事はほとんどありません。
しかしどれも必要な場所に必要として貼られています。
例え立ち止まらなくても貼ってある事で知っている人にとれば充分訴求効果はあります。

それなら知らない人の場合は?
毎日のように足を運ぶ「コンビニ」が一番効果的だと思います。
レジ待ちの間でも暫くは見て頂く事が出来ます。

警察、公共機関、交通機関、そして「コンビニ」「スーパー」。
それぞれ貼る場所での役割があると思います。
これからはもっと「コンビニ」への働きかけが必要だと思います。



2006年7月26日

本日HP版捜索の輪!が80万アクセスになりました。

カウンターを設置したのが3年前の7月20日。
いつも感じるのですが普段のアクセス数は400前後。
webに友梨ちゃんの記事や関連する事件が載った時は倍〜数十倍のアクセスが瞬間的にあります。
しかし普段は400。

80万÷3年=730アクセス。
大きな数字の時が何度かあった為平均訪問数は730/日になります。

多くの方の支援のお陰で3年経った今でも何とか400前後を推移しています。
多いのか?少ないのか?は私には判断が出来ませんが、捜索の輪!活動は多くの支援者の皆様に支えられてこれまで続ける事が出来た事は断言出来ます。

最近仕事が忙しくて帰りが遅いので平日の作業時間が30分ほどしか取れなくなりました。
掲示板やメールの返信の遅れやスルー、その他の更新作業の遅れお許し下さい。



2006年7月25日

秋田県の事件の初動捜査の事は前にも書きましたが、事件を事故として片付けただけではなく、事件(事故)現場を自宅近くの川原と大沢橋と現場自体が間違っていた事には呆れ返りました。

それを「事故と事件の両面で捜査をしている」とは言い訳にもならない発表までする始末。
「申し訳ございませんでした事件の捜査はしていませんでした。」と素直に非を認める方が往生際が良いと思ってしまいます。
一般素人が考えたって「警察の偽証」だと言う事が判ります。

私は警察の方とは友梨ちゃんの事で拘っていますので警察の不祥事や怠慢を目にすると複雑です。
すべての警官が同じだと思われる事、特に友梨ちゃんの捜査本部の担当者がそう思われる事は活動をする上で非常にマイナス要因になります。

「そんな警察は協力するに値しない」
そう思われてしまう事が一番怖い事です。

今の警察の状況を見ているとそう思われる方は少なからずいると思います。
それなら警察への協力では無く吉川様への協力と言う形でご支援を願いたいと心から願っております。


2006年7月24日

7月22日の読売新聞に「2人死亡の部屋、5か月前にも死亡発生…パロマ事故」の記事が載っていました。

間違いの無いように原文のまま掲載します。

パロマ工業の瞬間湯沸かし器による一酸化炭素中毒事故が相次いだ問題で、1989年4月に北海道北見市内のアパートで2人が死亡した事故の5か月前にも、同室で男性が死亡していたことが22日、わかった。
 北見署は当時、「急性心不全による水死」として処理していたが、男性の遺族は「息子はガス中毒死ではないか」と再捜査を求めている。
 この男性は、一人暮らししていた塾講師斎藤慎也さん(当時29歳)。88年11月21日夜、お湯を張った浴槽の中で死亡していた。釧路市在住の父武雄さん(74)と母よしみさん(68)によると、事故前日に部屋を訪れた際、湯沸かし器のカバーが外されていたため、慎也さんに理由を聞くと、「火が付きにくいから、ライターで付けやすいようにするため外した」と答えたという。
(読売新聞) - 7月22日13時31分更新

まず第一に警察が「ガス中毒としなかったか」為に、第二の事故が起こった事は明白です。
ガス事故なら当然発生源の機器を調べ、使用禁止、買い替えに繋がったはずです。

先日テレビで大きく報道されていた青年の場合も一酸化中毒ではなく、心臓発作か何かで事故処理をしていたはずです。
今回、製造メーカー、修理業者、機器の管理者以外に新たに「警察」にも責任の一旦が出てきたように思います。

秋田の事件も初動捜査に大きな疑問がありますが、今回の一連の事故でも一酸化中毒以外の死因で処理をされたケースが他にもあると思います。

事故が起きる時は原因が重なって起きる事が多いです。
その中で一つでもクリア出来ていれば今の犠牲者が半数以下に減っていたかもしれません。

製造メーカー、修理業者、機器使用者、警察。
責任の所在を明確にして頂かないと事故は再発します。



2006年7月22日

パロマのHPに今回の件での「受付件数」などが載っています。
日々更新されているのかを思っていたら毎日でもないようです。
当時の総販売台数は把握できても現在の使用件数までは把握していないと思います。
しかし、その中に「改造件数」も掲載されています。

「改造」安全装置の短絡の事ですが、これは一体誰の指示で行われたのでしょうか?
1.業者が修理に行って部品が無かったので応急処理で改造をおこなった?
2.修理代がかかるからユーザー、オーナーの指示でやった?
3.ええかげんな業者が直した振りして修理代を取った?(無償だった場合もあり)

今回取り立たされている不正改造の原因の究明も必要な事だと思います。

1.の場合は部品が入った時点で訪問しなければなりません。また部品の供給が無い場合はその旨を使用者に伝えて即座に使用を止め買い替えの促進を図らねばなりません。
2.の場合は一概に業者だけは責められませんが、専門家ですので危険性を充分に説明し1.のような対応をとらなければなりません。
3.の場合は重大な過失があります。

今回の事件を考えるとだんだんメーカー側だけが悪いと思えなくなって来ました。
持ち家に住んでいる場合はユーザー自身、賃貸に住んでいる場合はオーナー若しくはメンテ会社に管理の責任が多分にあるように思えてなりません。
そして業者も充分な説明を怠って「大丈夫ですよ!」と言っていたかもしれません。
しかし、年数を考えると危険性は見えてくるはずです。

今回の事件のニュースを見る限り賃貸マンションが多いように思いました。
一体問題の給湯器の所有者は誰だったのでしょうか?
誰が買い替えを先送りにしたのでしょうか?

・・・と20日に上の文章の下書きをしたところ「製造上の問題」が浮上して来ました。
製造から2年ではんだが割れる故障が起こっていたとの報道がありました。
何でも「寒冷地仕様」の機器が10度ではんだにヒビが入る事故が起きていたとの事でした。

本来ならこの時点で何らかの処理をしていれば「不正改造」に繋がらなかったかもしれません。

この事件の原因(発端)は何処にあるのでしょうか?
もしかしたらこれが事件の原因分子なのかもしれません。

今回の事故を生んだ発端をはっきりする事が益々重要な事だと思わせる発表でした。



2006年7月21日

15日の「社告」では、改造が原因で事故が起きた事を協調している内容になっています。

「メーカーとして仕方が無いから修理をしてやろう!」と言う驕りがひしひしと伝わってくる「社告」です。
しかし、18日の会見で「経年劣化で不具合が出た」と不正改造だけでは無く機器自体の不具合を言及しています。

一度出てしまった「社告」は仕方が無いですが、もう一度今分かった事実を再度「社告」として全国紙に掲載して欲しいと思います。
そして早急にパロマ工業のHPのtopicsの『06/07 経済産業省の「半密閉式瞬間湯沸器による事故」報告命令に関する対応について』の訂正を願いたいと思います。
責任逃れ、逃げ腰の対応ではこれからも事故が起こる可能性があります。

今回のパロマ工業の対応は前半は「三菱自動車型」の無責任、後半は「JR西日本型」の責任転嫁と大きな事故の悪い部分だけを学んだ酷い企業です。

ただ先の松下の事故と同様使用年数が20年以上経過していれば「経年劣化」はある意味仕方が無いことかもしれません。
食品に賞味期限、消費期限があるように「耐久消費財」にも使用期限を設ける、検査期間を設ける必要があるかもしれません。

そして賃貸マンション・団地等の設備の管理者や個人使用者も使用年数を考えて点検をしていかなければいけません。
製造者側だけに責任を押し付けるのではなく、管理・使用責任を放棄してはいけません。

<追記>

パロマのHPを開くとトップページがイキナリ「お詫びとお願い」に変わっていました。

大きなサイズだったのでじっくり読んでみると不思議な文章が・・。

「なお該当商品は、製造後すでに相当長期間を経過しておりますものですので、
お客様が希望される場合には、無償にて新型の製品と交換させていただきます。」
何故そこまでする必要があるのでしょうか?

「耐久消費財」は耐用年数がありますので買い替えが当たり前のはずです。
発売後間も無いものならその処置は正しいと思いますが、使用が20年以上も経っているものまで無償で交換するのはおかしな対応です。
使用者・管理者側が買い替え時期の判断を誤った部分もあったはずです。

今回の事でメーカーがそこまですると、なんでもかんでも無償で交換する事態に陥る可能性があります。
メーカー保証はあくまで無償修理までに留めないと際限なく交換の世の中になってしまいます。

事件の本質と対応をしっかりしないとすべての製造メーカーに大きな負担を残す結果になります。
今回はパロマの対応に問題があった為、異例の処置になったのだと思いますが正しい判断かは疑問です。

無償交換だけはしてはいけない事ではないでしょうか?



2006年7月20日

一環して「不正改造」と「憤り」を繰り返していたパロマ工業の社長の口から「お詫び」の言葉が出ました。

社内の危機管理の認識の甘さ、責任逃れの体質は「JR西日本」のそれと良く似ています。
それを考えると、昨日書いた「三菱自動車」のリコール隠しと同様、企業に大打撃を与えた事件の教訓は全く生かされていなかったようです。

「人の振り見て我が振り直せ」
それは他人や他の企業だけでなく「パロマ工業さん、あなた自身も含まれているのですよ!」
松下の事故、三菱自動車の事故、そしてJR事故。
一体どのような気持ちでニュースを見ていたのでしょうか?
「大変な事故やなぁ!」
「リコールしたら金かかるやろなぁ!」
他人事のように思っているから危機管理が疎かになるのです。
一体これらの事故の後、どれだけの企業が危機管理、安全管理、品質管理を見直したでしょうか?

事故を未然に防ぐ努力をしても事故は起こります。
まずは予防、そして起こった後の速やかな対処で第二、第三の犠牲者・被害者を一人でも少なくする事が可能です。

責任逃れや隠匿は被害を大きくするだけで解決ではありません。

現実を真摯に受け止め、対処する事が被害者を減らし、企業の信用に繋がるのです。



2006年7月19日

「パロマ湯沸かし器死亡事故」で製造メーカーのパロマ工業は終始「不正改造」を口にしています。

製品には問題は無い、不正改造した方が悪い。
何が不正改造なのか良く分からないのでwebで調べてみると多分この事を不正改造と言っているのだと思います。

瞬間湯沸かし器はパロマ工業製の4機種をはじめ、燃焼ガスを屋外に逃がすための電動ファンが内蔵されたタイプが大半だが、煙突を付けただけの自然排気タイプもある。後者は設置後、排気管の途中に電動ファンを後付けするケースが多く、その場合は不完全燃焼を起こさないよう、ファンの電源を落とした状態で給湯器が作動しないことを(2)の項目の中で確認する必要がある。
 ところが、電動ファンが内蔵された機種については、排気管が屋外に出ているかどうかを確認するだけで、電源を落とした状態の検査が義務づけられていなかった。経済産業省ガス安全課はその理由を「製品自体はすでに安全基準を満たしているため、点検の対象にはしていない」と説明する。

まず一つは、電動ファン内蔵タイプの点検時に電源を落とした状態での検査の問題があります。
これは検査の問題で不正改造に言及はしていませんが、内蔵タイプは電源を落とした状態ではガズの供給を止める安全装置をパスしていた可能性(不正改造)があります。

もう一つは電動ファン非内蔵機種タイプに後付けでファンを付けるケースの場合です。
後付ですので安全装置との連携は無く、何かのトラブルでファンが止まった時に充分に排気がなされなかったケースを言っているように思います。
前者は業者に多大な責任はあると思いますが、その事実を把握して対処しなかったメーカーにも多くの責任はあると思います。
後者の場合は製品自体に問題があったと推測されますが、メーカー側のコメントがはっきりしません。

何れにしろ最初に死者を出した時点で何らかの動きがあって然るべきだったと思います。

リコールは自動車メーカー、家電メーカーで多く発生します。
先日の松下電器のFFの事故、先の三菱自動車の事故。
死者は出なくても火災の可能性があるものは時々リコールが出されています。

製造責任はその製品が市場に出た時点から発生します。
早い時期のリコールは使用者を守るだけでなく製造メーカー自身も守る事を先の三菱自動車の件で学んだはずです。

それがまだ分かっていないメーカーが有ったとは本当に残念でなりません。



2006年7月18日

秋田県警の捜査の在り方が連休中のテレビ番組で大きく取り上げられていました。

それとは別に一旦報道され今はあまり公になっていませんが畠山鈴香容疑者が卒業した高校の卒業文集の事がweb上で飛び交っています。
当時の担任を呼んで注意をしたとの報道もありましたが、当時の畠山鈴香容疑者はどのような人物だったのでしょうか?

内容を読んでみると相当酷い事が書かれており、当時の彼女の境遇を考えると・。

擁護的な見方をすると当時彼女は周りから阻害され、苛めの対象になっており、その影響が後年まで続いたと想像出来ます。

逆に書いた方を支持的に見ると彼女の言動で周りが相当迷惑や被害・危害を受けていたのではないかと思われます。
担任もそれをそのまま受け入れた事を考えればそのような風潮になっていたのだと思います。

少年(少女)犯罪の裏側には親の躾、家庭環境が問題視されます。
人格が未成熟な人間はその庇護を受ける人間から与えられる外的要因に大きく左右されます。
それを跳ね返すだけの経験や善悪に対する認識が未熟な為に最悪の結果を招く事も多く有ります。

自分をしっかり持っていればそれに立ち向かって打ち負かす事も出来ますが、そうでない子は負けてしまいます。
また持って生まれた気性の為に犯罪を起こすケースもあると思います。

しかし今回の鈴香容疑者は33歳。
トラウマを持ったまま大人になったのか?


2006年7月17日

しかし、不思議な事件です。

畠山鈴香は自分で殺人を犯しておきながら彩香さんの事故死を「事故ではない、再捜査を!」と警察に詰め寄った事、情報提供を求めるビラを作った事。

一つは簡単に事件(事故)の幕が下りてしまった事で
「悲劇のヒロイン」の出番が無くなった為。
事故と断定された事に対する警察への不信感。
一説では「犯罪被害者給付金」を貰う為に事故では無く事件にする必要があった為。

何れにしろ彩香さん事件を早々に事故として処理をした秋田県警の怠慢が第二の殺人を生んだ一番の原因だと思います。
初動捜査がきっちりと行われていれば「豪憲君」殺害は間違いなく回避された事は明白です。

「育児放棄をした鈴香容疑者」
「捜査放棄をした秋田県警」
どちらの責任も大きいです。



2006年7月16日

秋田県の豪憲君殺害事件の容疑者の娘さんの死の真相が見えて来ました。

「事故」では無く「事件」です。
それも第三者が絡んだ事件では無くて豪憲君殺害事件の容疑者と同じ畠山鈴香、彩香さんの母親が犯人でした。

今回の自供で「やはり!」「そう思った!」方が多いと思いますが、私も豪憲君事件の時に畠山鈴香が怪しいと思った事がありました。.

しかし今回一番問題視されるべき事は秋田県警の彩香さん水死事故(事件)の捜査のあり方だと思います。
テレビのインタビューで「警察は事件よりも事故の方がお母さん良いでしょう」と言うような事を捜査員から言われたと言っていましたが、まんざら嘘ではなかったように思います。

今になって事件当日橋の近くでの二人の目撃情報も多数寄せたれていると聞きます。
一体どのような初動捜査がなされたのでしょうか?
「事件より事故にしたかった。」
「事件だと忙しくなるから事故にしよう。」
本当にそう思っていたように思います。

事件の真相とは別に県警の姿勢を追及して欲しいと思います。



2006年7月14日

先週2泊3日で家を空けて帰ってからメールを確認すると381通のメールを受信しました。

そのうち13通が「普通のメール」それ以外がスパムメールでした。
先日支援者の方から対処方法の一つとしてHTMLエンティティ化の方法を教えて頂き、サイトの修正をしました。
これから徐々にスパムが減ってくると思いますが、いつもながらアホラシイと言うか腹が立つと言うか・・・。
これだけ大量に送られて来ると必要なメールすら消しかねない状況ですのでスパムメールなど尚更見る事もリンクをクリックする事もありません。
どうせ送るならもっと相手を選んで送って貰いたいものです。
私は「スパムを相手にするほど暇では無い」と何度も書いています。
無作為に送る前に一度サイトを覗いて欲しいくらいです。

そうすれば無駄な事が理解して頂けるはずなんですが・・・。



2006年7月13日

移植関係のリンクを貼っています。

その中の一つに「ななみちゃんを救う会」があります。
リンクを貼ってからほぼ毎日状況の確認をしていましたが、最近忙しくて・・。

今日やっとゆっくりとサイトにお邪魔すると、「7月6日(現地時間:5日15時50分)移植手術が始まりました」との連絡が載っていました。
そして現地時間の6日5時12分無事移植手術が終わったとの報告がありました。

術後の経過も良好ですのでまずは大きな関門を通過したと思います。
これから拒絶反応や体力の回復等々まだまだ課題が山積みだと思いますが、これからもサイトを通じて経過を見守って行きたいと思います。

移植手術の成功おめでとうございます。



2006年7月12日

先日現場に同行して頂いた協力者の方と電話で話をしました。

前回の同行の時の話やその後気付いた事などを話し、最近近隣で不審者が出没している事などをお聞きしました。
先日も得意先の近所で刃物を持った男が現われた事があり、益々物騒な世の中になって来ました。
「子供見守り隊」や保護者の皆様が下校時の警護をして下さっておりますが、不審者・変質者は一向に減りません。
逆に増加の一途を辿ってるようにも感じます。

季節の変わり目には多いと聞きますが、この時期でも多いのには恐怖すら感じます。
もう一度不審者・変質者の洗い直しをして動きを封じ込めて欲しいと思います。
警察が動いている事を知れば少しは大人しくなると思います。

事件が起こってからの検挙より、事件が起こる前に抑止する事、防止、防犯が大事です。



2006年7月11日

先日から少しアクセス数が多かったの原因を調べてみました。

解析でリンク元を調べても大きな変化は見られませんでした。
「絶対何かある!」そう思っていろいろ調べてみると、いつものyahoo!からの訪問に原因がありました。

現在捜索の輪!のyahoo!の登録を遡ると「捜索の輪!」→「大阪小4女児行方不明」→「行方不明者」になります。
その中に「北朝鮮拉致事件」が登録されており、そこからの流れではないかと思われます。

先日から大きくマスコミに取り上げられていましたのでポータルのyahoo!を見て気になって訪問して下さったのだと思います。

直接的・間接的に拘らず何かの動きがあればそのまま数字に表れます。
自分で動けないから余計に周りの動きに数字が左右されます。
一人でも多くの方に知って頂くにはまだまだ出来ていない事が多いです。

一体何をすれば良いのか3年経っても結論は出て来ません。



2006年7月10日

仕事に追われて友梨ちゃんの活動が4年目に入った事を忘れていました。

2003年6月24日。
この日が今の活動を始めた日です。
休暇中にGSでじっくりポスターを見たのが切っ掛けでした。
その日は6月上旬でしたが、それから約2週間悩みに悩んだ末自分のHPの1ページとして活動が始まりました。
それから徐々にページを増やして現在の形になりました。

長かったような3年、短かったような3年。
私は活動をしながらでもオン・オフがありますが、吉川様にはオフの時間は無かったはずです。

4年目を迎えても基本的な活動は変わりません。
少しでも活動の底辺を支えられれば何かが動くと思います。



2006年7月7日

今回の友梨ちゃんのポスターは今まで違う色使いをしています。

今までは赤色、黄色を多用していましたので「印象」が変わるように「青色」を使用しています。
内容は先の謝礼金の物とあまり変化はありませんが、「ぱっ!と見た時の印象」は大きく違うように感じます。
風景の一つに映らないように。
注意して見て頂けるように。

ポスターは貼った事で役目を終えるのではありません。
何が書かれているのか?何を訴えているのか?を見た方に知って頂くのが役目です。

今回は大阪府下や近隣の警察署にも貼って頂けるだけの枚数が出来上がりました。

「関心」「風化の防止」「協力」「支援」そして「情報」
様々な役割を持って皆様の目に触れる事と思います。


2006年7月6日

日記が2日も抜けてしまいました。

土日は前から「休刊日」にしているのですが平日は必ず更新をするようにして来ました。
最近仕事が忙しくて休日も思うように取れない状態が続いており、書きだめや、0時過ぎてのアップ等がなかなか出来ません。
書く余裕も徐々に無くなって来ているのが現状です。

今回は研修の為に横浜に2泊3日で行って来た為に抜けてしまいました。
従来なら行く前の夜に当日分、0時過ぎて翌日分の更新をして、帰ってから前日分、当日分の更新をして2泊3日の空白を埋めて来ました。
しかし今回はストックが無く完全に2日分空いてしまいました。
短い文章でも毎日更新する。
blog(HP)を見た方に「毎日更新している」事を実感して頂く目的で続けて来ましたが、今回は小休止です。

また明日から平日の更新を続けて参りますので宜しくお願い致します。


2006年7月3日

本日「吉川友梨ちゃん捜索の輪!」に新しいポスターを追加しました。

このポスターは七山地区の皆様が友梨ちゃんの無事を信じて新たに作成したものです。
今回は府警管轄の警察署や多くの施設、団体に配布出来るだけの枚数を作られたそうです。
原紙はA3ですが、家のスキャナーがA4の為、縮小版ではございますがご家庭のプリンターで1枚でも印刷して頂き掲示のご協力をお願い致します。



2006年6月30日

先日泉佐野の得意先で友梨ちゃんの話をしたところ・・・

噂話かもしれませんが、気になる話を聞きました。
その話を先日捜査本部の担当者様に伝えると、「もう少し詳しくお聞きしたいですね」と言う事で近々捜査員が伺う事になりました。
気になる話、不確かな話でも多くの情報を集約すれば、一つの線で結ばれる事もあります。
「早速、捜査員がくるかもしれませんので宜しくお願いします。」とお電話をしました。

今日仕事の用事で電話をしたところ「警察が来たよ、余計な事を言わなかったらよかった!」と言われました。
上記に書いたような事をご説明させて頂き、またそれだけ捜査が難航している証拠ですのでご協力のお礼を述べさせて頂きました。
何も無いところから噂が出ません。
それが誇張・湾曲されて伝わったとしても何か原因になる事があって初めて噂が出ると思います。

情報源を遡って行けば噂の原点に突き当たるかもしれません。



2006年6月29日

捜査本部の担当者様から友梨ちゃんのポスターが出来たとの連絡を頂きました。

たまたま泉南地区を営業で走っていたので泉佐野の得意先を回ってから捜査本部にお伺いしました。
今回のポスターは七山地区が費用を出して作ったものですが、担当者様は「3年経っても地元がこれだけ支援してくれすのは稀なケースです。」と仰っていました。

その話を聞いた時「他の行方不明者の方々の地元はどのような状況なのか?」と気になりました。
他の方の支援活動の状況はほとんど見えて来ません。
状況は全く同じですので同じような動きをされていると思いますが、我々がその動きを知る機会はあまりないように思います。

もっと大きく報道して欲しい。
もっとwebを活用して欲しい。
そう感じました。


2006年6月28日

あれから掲示板も落ち着きを取り戻したようです。

いつも思うのですが、書き込んだ方は一体何をしたかったのでしょう?
例の推理のページを削除したかったのでしょうか?
私は今まで匿名やちょっと変は書き込みに対してもすべてレスを返して来ました。
掲示板を管理する者の務めだと思い、スレッドの最後は管理人のレス。
そう自分で決めて実行して来ました。
しかし今回の件を契機にその方法を変えようと思います。
必要で無いと判断した書き込みにはレスを入れない。
そう思っていてもレスを入れてしまうと思いますが・・・

今回今更ながら感じたのですが、投稿者名が無いのに気が付きました。
「題名が無題」で「お名前が題名」と非常にふざけた書き方をしています。
この時点で安易はレスをしなければ良かったのだと思いますがついつい・・。

IPも解っていますのでこれ以上書き込みが有れば当局に通報します。



2006年6月27日

また掲示板が荒れました。

一昨日掲示板に二月様の推理の投稿についての疑問を投げた方がいました。
私はたまたま掲示板を開いていたので気になりながらも直ぐにレスを入れました。
すると程なくまたまたレス。

あくまで推理は推理であってそれ以上でもそれ以下でも無いのですが、それを執拗に突いてきます。
こうなると非常に不味いパターンになるのでそのまま放置していたのが大きな間違い。
Cat's oh!様が見かねてレスを下さりました。

あとは掲示板を見て頂ければ一目瞭然、本来の趣旨とは違う問題で応酬合戦になってしまいました。
私が管理人の責務を果たさなかったばかりにご迷惑をお掛けしました。
レスを入れて下さったCat's oh!様は自分に矛先を向けようとして下さった事に深くお礼とお詫びを申し上げます。
また突然のお電話申し訳ございませんでした。

本来意見を言うのは自分の身分を明確にしなければならないと私は思っています。
責任の所在を明確に出来ない書き込みは無視すれば良い事なんですが、同じレベルで回答した私のミスです。
これからはその辺をはっきりとしたいと思います。

レスは管理人の責任→レスは管理人の判断



2006年6月26日

一昨日「友梨ちゃんの掲示板」にある書き込みがありました。

「吉川友梨ちゃん行方不明事件に関する、犯人像を推理した投稿」を対する批判の内容です。
このページは協力者の二月様が自分の推理を書かれていますが、あくまでご自身の推理でありこれが切っ掛けで新たな関心や皆様に改めて考えて頂く事が出来ればと思い原文のまま掲載しております。

「強引な誘導とも思える推理を掲載するのですか」
「悪意を感じます」との書き込みを頂き困惑しております。
あくまで個人の推理ですのでそれをどのように取るかは個々の判断だと思います。

また「少し冷静になって考えてください。」とも書かれていました。
冷静になって欲しいのは私では無く投稿者本人では無いでしょうか?
私はいつも冷静にサイトを管理しているつもりです。
しかしこのような書き込みが冷静さを欠く結果になっている事だけは事実ですが・



2006年6月23日

先日捜査本部にお伺いした時に新しいポスターを作る話を聞きました。

七山地区が費用を出して一昨年に作った「謝礼金」のポスターを作られるそうです。
前回の謝礼金のポスターは掲載期間が過ぎていて使えないので新しく来年の7月までの期限の分を10,000枚作成中との事です。
何でも期間を一年にしなければならないそうですが、何故期限が必要なのかは私には判りません。

先日isagi100様が捜査本部に100部ほどご自宅で印刷して下さったものを届けて下さりましたが、ストックも1,000枚ほどになっているようです。
今は充分な枚数を送る事が出来ないようですが新しく作成されれば府下の各交番や施設、支援団体の皆様に配布して頂けるようです。
これでやっと色褪せたポスターを新しくする事が出来ると思います。

まだまだ「発信を続ける事」が大事な事です。
その為にはまずポスターから・・・。



2006年6月22日

2ヶ月以上前の話ですが友梨ちゃんが夢に出てきました。

私は写真の友梨ちゃんしか存じ上げないのですが、夢に出てきた友梨ちゃんは中学生くらいになっていて顔も写真に比べて面長な感じでした。

行方不明から3年が経過していますので今はどんな風に変わっているのかわかりません。
身長は?体重は?髪型は?表情は?

今何処かですれ違ってもご両親以外は解らないかもしれません。
女の子の9歳から12歳は随分容姿が変わっていると思います。

その中で我々に出来る事は「事件当時の情報の呼びかけ」「風化の防止の為の呼びかけ」しかないのかもしれまません。
しかし多くの方が独自で活動をされるケースも増えて来ているのも事実です。
一つでも多くの窓口から発信を続ける事で新たな支援が芽生える事と思います。

少なくとも今の活動を縮小する事は出来ません。
拡大しても関心が薄れていくので現状を維持するだけ精一杯かもしれません。
「支援の拡大」と「関心の減少」
どちらのスピードが速いのでしょうか?



2006年6月21日

担当者が変わってから教育委員会とは疎遠になってしまったのでほとんど情報が入って来なくなりました。

本来私の活動は警察と協調してでは無く、教育委員会と協調すべき活動だと思っています。
しかし、悲しいかな「温度差」「思い入れ」が違い過ぎた結果今の状態になってしまいました。

行方不明当初から拘って来たご担当者様は昨年の春に学校現場に異動され、それまでは電話やメールで日々連絡を取り合っていましたので非常に残念でなりません。
こちらからのお願いには快く協力を頂き、「今度こんな事をやりますので・・・」と連絡も頂きました。
しかし今度の担当の方からは1年経って一度も連絡がありません。
今まで教育委員会とは協調して活動をして来たつもりだったのですが・・・。

前担当者様が異動して1年。
「立場」よりも「気持ち」だったのしょうか?
それとも必要ないと判断されたのでしょうか?



2006年6月20日

先日掲示板に下記のような書き込みを頂きました。

初めまして。アクセス解析よりこちらのサイト様で私のHPがリンクされていることを初めて知りました。このような活動を広げていることは素晴らしいとは思うですが、私のHPタイトルが明らかに間違っていることと私のサイトとは趣旨が違うため、削除していただきたくお願いいたします。

最初は意味が解らずまた「いきなり不躾な書き込み」を送られるた事に少し憤慨しておりました。
「ゆりちゃんの輪!!」の1500のリンクからその一つのサイトを探し出してやっと訳が推測出来るところまで来ました。
不思議な事に3年近く前にリンク協力をして下さったサイト様のurlと今回ご指摘を受けたurlが同じだったのです。
多分協力を頂いたサイト様が閉鎖されその後同じurlで別のサイトが出来た為に今回の書き込みなったようです。

私も訳が解らないのと同じで相手も解らないのですから、いきなり不躾な行為には憤りを覚えます。
まずは事実関係の問い合わせでもして頂ければお互い気持ち良く対応が出来たはずです。

一方的にこちらに非がありきのスタンスでものを言って来るのは流石の私も腹が立ちます。
毅然とした態度の文章ですが、思い込みは時には相手の心に土足で上がり込む結果になります。

禍根を残すような事は極力避けたいと今回の件で勉強させて頂きました。



2006年6月19日

いつもご支援を頂いているisagi100様が今日友梨ちゃんが行方不明になった現場に行かれました。

途中捜査本部にもお寄り頂きポスターを捜査員に託されたそうです。
isagi100様本当にありがとうございました。
現場を歩かれたご様子を掲示板に書いて下さっております。

私も初めて現場を歩いてみて多くの事を感じました。
写真で見るより狭く曲がりくねって道。
車の通行量。
周辺の状況や通学経路。
行ってみなければ分からない事、感じ無い事を自分の肌で、自分の感覚で確かめる事が出来ました。

isagi100様も今までと違った感覚に襲われていると思います。
でも行って良かったとも感じておられるはずです。

その肌で感じた事を多くの方に伝えて行って頂きたいと思います。



2006年6月16日

秋田の事件の容疑者の自供に疑問を感じます。

豪憲君殺害の動機が未だに見えてきません。
どうも計画的では無い事を全面に出しての自供のようですが、腰紐や軍手が手元に有ったとは考え難いように思います。
毎日に豪憲君の冥福を祈っているという供述も容疑者の人となりを想像すると有りえないよな気もします。

真実は彩香さん殺害の真相が究明されて初めて解る気がします。
本当に悲しんでいるのか?殺害はしていないのか?

そちらを先に解明しないと真実は見えてこないかもしれません。


2006年6月15日

昨日の午後5時から急にアクセスが増えたので調べてみると、捜索の輪!のトップにリンクを貼っている「北山結子さん」が不明から丸9年の記事の配信がありました。

彼女が行方不明になったのは1997年6月13日。
当日の午後8時過ぎ、アルバイトから帰る途中、友人宅に電話をしたのを最後に行方が分からなくなりました。
友梨ちゃんと同じように目撃情報も無く、持ち物や自転車も発見されていません。

友梨ちゃんの3年、北山結子さんの9年。
2人とも不明のまま、しかし犯人はその3年間、9年間をのうのうと暮らしている。



2006年6月14日

シンドラーエレベータ社製の商品は社長や最高責任者が言っていた「製品(製造)上の故障は一度もない」と言っていましたが、結構世界で事故を起こしているようです。
やっと一応の「謝罪会見」をしましたが、日本人の心情を考慮しての異例の会見だったようです。

事故の自己責任の回避は「JR西日本」と同じ体質なような気がします。
欧州企業と日本企業の風土は違えども基本的な企業風土は同じだと思います。
JR事故は発生当初は「置石の可能性」と発表されました。
シンドラーは「メンテの問題」と言いました。

責任逃れの構図は全く同じです。

2006年6月13日

一昨年の夏頃からご来訪者数が固定化しリンク協力数の伸びが鈍化しました。

その為、捜査本部にお伺いして新しいソースの提供を行って来ました。

普段よりアクセス数が増える日も時々あります。
しかし、永年400台を維持していたアクセス数も3年を迎える少し前には300台がほとんどで200台の日もありました。
報道のお陰で「瞬間風速」で一気にアクセスが上がりましたが、すぐに落ち着き少しの間ですが、500台、600台の日もありました。
今は400前後を推移していますので、捜索の輪!の実力値は400なのでしょう。

1,000以上のサイト様でリンクを貼って頂いているにも拘らず400。
報道のお陰で下げ止め、底上げを繰り返して今まで維持出来たのだと思います。

先月の報道以来やっと永年続いた400台に戻りました。
しかし本当に不思議です。

何故400なのか?何処かにその根拠が潜んでいると思います。



2006年6月12日

金曜日の日記の続きです。

犯人像を推測する事は否定しませんが、私は掲示板をそのような目的で作った訳ではありません。
あくまで「協力のご報告」「応援メッセージ」の為に作ったつもりでいます。
そして極力犯人を刺激しないように努めて来たつもりです。

しかし3年と言う歳月が多くの方に不満と不審の気持ちが募って来たのだと思います。
「警察が解決出来ないのなら我々がやる!」
そう言う気持ちが「推理」へと繋がり「推理合戦」へと発展したのだと考えます。

しかし、この掲示板は上記目的で作った事だけは忘れないで頂きたいと思います。
掲示板を作って2年以上。
常に皆様に気持ちよく利用して頂く事を念頭に置いて運営をして来ました。
「悪戯」「誹謗中傷」「苦情」
削除したスレも沢山ありました。
警察に通報した書き込みもありました。
しかし大半は協力・応援の書き込みです。

一人でも多くの方に利用して頂き、その中から協力・支援に繋がれば幸いです。



2006年6月11日

昨日の日記にエレベーターのメンテの事を書きましたが、今回の事故を起こしたシンドラー社のエレベーターの事故が意外と多い事に驚いています。

保守の問題だけでなく製造も問題も多分あるように思います。
シンドラー社のHPでは終始自社の正当性を主張するコメントばかりで、遺族や被害者に対してお詫びの言葉は一言もありませんでした。

「世界第2位のメーカー」を自負し、そのようなメーカーの機械なので製造側の責任では無いと言いたいようです。
しかし、webで調べてみるとメーカーメンテされたシンドラー社製エレベーターでも事故が起きている事を考えれば強ちメンテのせいにも出来ないと思います。

もっと事故を真摯に受け止め「世界第2位のメーカー」と言うプライドも捨てて原因究明に当たって欲しいと思います。



2006年6月10日

シンドラーエレベーター事故で今のメンテの実態を垣間見たような気がします。

数年前からメーカーメンテよりもメンテ会社(保守専門会社)が安い料金でメンテ契約をしてメーカーメンテが減って来ています。
この業界では代理店でも特約店でも無いので技術講習や作業の資料の提供はメーカー側からメンテ会社には行われません。
競争相手ですので当然の事です。

部品の供給は仕方無しに行っているようですが、技術の提供が無いのでメンテ会社のサービスマンはメーカーメンテの作業風景をビデオカメラに撮って(隠し撮りや強引な方法で)それを資料にしていると聞きます。

今回の事故は「製造責任」なのか「保守責任」なのかはまだ解明されていませんが、メーカーがバックに無いメンテ会社はメーカーメンテと比べて背負っている責任が違い過ぎます。
メーカーメンテは保守責任と同時に製造責任を背負って作業をしています。

安い料金でメンテをしたい気持ちは解りますが、それで安全もコストダウンさせるのは危険過ぎます。
価格にはそれ相当の値打ちがあって価格が決まります。
安易に価格だけで走るとどんでもない事になるのは最初から解りきっていることです。

これを機会にメーカーメンテの再考を願います。



2006年6月9日

一時期掲示板が「推理合戦」の様相になって事がありました。

皆様本当に友梨ちゃんの事を心配して「可能性」を追求して下さりました。
しかしその側面には「警察」に対する不信感や不満があった事は言うまでもありません。
3年近く経って「どうして発見出来ないの?」「どうして解決出来ないの?」
その思いが今回の「推理」へと繋がったと思います。

玄人では見落としてしまう推測もあったと思います。
素人だから閃く事もあったと思います。
ほとんどは既に捜査済みのだとは思いますが、心理的な部分は可能性があると思います。
少しでも可能性があればその一つ一つに対して裏を取って頂きたいと願っております。

友梨ちゃん発見はご家族、警察だけでは無く皆の願いです。



2006年6月8日

秋田県の豪憲君事件の容疑者が殺害を自供しました。

連日容疑者の人となりをニュースで流れているのを見ると、殺人とは別に世間に同じような親が多いように感じました。
子育てをしない親でも子供にとっては大切な親です。
その子供の気持ちを顧みないで好き勝手な事をしている気持ちは私には理解出来ません。

豪憲君殺害の動機はまだ自供していませんし、彩香ちゃんの死の真相も解っていません。
彩香ちゃんは事故なのか、事件なのか、そして母親が殺害したのか?
何れにしろ彩香ちゃんの件が今回の豪憲君殺害に大きく関係している事だけは間違い無いと思います。


2006年6月7日

昨日「捜索の輪!」のリンク数が1,500になりました。

以前の日記(3月29日)に「1,500達成は6月」と予想しましたがその通りになりました。
1,400から1,500の100増に約8ヶ月もかかりました。
すぐに数字の事を書いてしまいますが、1ヶ月に13弱の増は関心の薄れを如実に表われているように感じます。

まだまだ私の知らない所でバナー貼って下さっていると思いますが、増え方に危機感を感じます。
閉鎖・移転等々で一割以上は減っていると思いますが、修正作業まで手が回っていません。
現在の実数は1300前後かもしれません。
その1300のサイトから今一度呼び掛けをして頂けないでしょうか?
「捜索の輪!」は皆様のサイトからも輪を広げる事が出来ます。

どうか今一度呼び掛けをお願い致します。



2006年6月6日

先日友梨ちゃんのお父様からメールを頂きました。

協力者の方からの情報をお伝えする為にこちらからお送りしたメールの返信です。
私が吉川様からメールを頂いたのはこれで2度目になります。

メールをお送りする時にどんな事を書こうかと画面を見ながら1時間近く悩みました。
結局簡単な挨拶だけで趣旨を書いてお送る事にしました。

「頑張って下さい」「応援しています」どの言葉も私には書く事が出来ませんでした。
返信に対するメールには何も挨拶を入れずに送るのが精一杯でした。

初めてお会いしたのは2年前の支援集会の時でした。
教育委員会様に間に入って頂き実現しました。
しかしそこでも「初めまして」の言葉しか言えませんでした。

あれから2年も経ちました。



2006年6月5日

101通。
この数字は6月3日の受信メールの総数です。(午後10時現在)
その中に捜索の輪!の支援者からのメールが1通だけ入っていました。

以前のような「スパムメール」とすぐ判る件名なら問題ないですが、非常に巧妙?な件名が付いているので内容を見ないと削除が出来ません。
半数以上がスパムフォルダに入りますが残り半数がそのまま受信トレイに残ってしまいます。

大事な1通のメールを誤って削除してしまう危険もあります。
アドレス帳に登録している送信者以外を拒否する事を出来ませんので、以前考えた「メールフォーム」の検討をしなければなりません。

受信側のプロバイダでの制御はもう限界に来ています。
送信側でもっと厳しい運用基準を作って頂かなければwebの崩壊が近い気がします。


2006年6月2日

昨日の日記に書いた方からメールを頂きました。

捜査本部の担当者様と電話で話をして下さったところまでは良かったのですが、どうも根掘り葉掘り聞かれたご様子でお詫びのしようもございません。

我々は人を信じることから出発しますが、警察は疑う事から始まります。
その為、ご本人に素性やアリバイめいた事まで事細かく聞いてしまったようです。
非常に残念は事にメールの最後に「もう多分かかわることもないと思います、ありがとうございました。」と締め括られていました。

情報提供、協力は当事者にとっては有り難い事です。
しかし、一方でご協力頂いた方のお心を傷つける結果になる事も多々あります。
状況が状況だけに仕方が無いと片付けられてしまう事になりますが、「協力」が一転して「疑い」に変われば誰だって疑心暗鬼になってしまいます。

しかし警察は疑っているのでは無く、潔白を証明する為に質問をさせて頂いた事をご理解下さい。
質問攻めにあってご立腹だと思いますが、これからもご協力の気持ちを持ち続けて頂きたいと切に願います。


2006年6月 1日

先日私信を頂いた方が捜査本部の方に電話をして下さりました。

今まで沢山の方が捜索の輪!経由で捜査本部の刑事さんと話をして下さりました。

直接警察に言うのを躊躇している方。
こんな事を言っても大丈夫?
あまり自信がないけど・・。
警察はどうも苦手。

いろいろな理由があると思います。
しかし、黙っている事が出来ない方が捜索の輪!に連絡を下さります。
お送り頂いた内容は全て捜査本部に一旦お送りしてから担当者様とお話をさせて頂いております。

そして必ず「一度直接お話をさせて下さい。」と言う返事が来ますので、それから情報を送って下さった方にコンタクトのお願いをさせて頂いております。
私からの説明やメールだけでは情報提供にはなりません。
直接ご本人様との話をして初めて情報になります。

大変ご面倒をおかけ致しましたがご協力本当にありがとうございました。



2006年5月31日

先日掲示板に書き込みを頂いた方から私信を頂きました。

詳細はこちらには書きませんがすぐに大阪府警にメールを転送させて頂きました。
少しでも捜査のヒントや補完の役目を果たしてくれればと思います。

しかし3年が過ぎた今でも「動機」が見えてきません。
犯人からの接触が一切ないのが大きな原因ですが、身辺からも何も出て来ないのでしょうか?
最初から事件なのかそれとも先日の佐賀県のケースのように事故から事件へと発展したのか?

何れにしろ犯人と友梨ちゃんは近くにいるとしか思えません。
平静を装っていても何処かでおかしな行動があったはずです。
その変化を一番知っているのは犯人のすぐ近くに住んでいる方々だと思います。
疑う事は良く無い事ですが、はっきりしたいと思っている方もいると思います。

蟠りを持ったまま過すのでしたら情報を送って下さい。
お願い致します。



2006年5月30日

先日の報道から急にウイルスメールが増えました。

今日は21通のウイルスメール、74通ものスパムメールがやって来ました。
アドレスを変えてから一時減っていたメールも元の状態(数)になってしまいました。
本当に他人に迷惑をかける奴の顔を見てみたいです。
隠れてこそこそしか出来ない卑怯者が人様の前に出てこれる訳はないでしょうが・・・。

そんな奴だからこんな姑息な事しか出来ないのでしょう。
きっと暗くて陰湿なやつなんでしょうが、たまには外に出てチラシ配りの手伝いでもすれば生まれ変われるかもしれません。

人に迷惑をかけるよりも人の為に少しは頭と体を使って欲しいです。



2006年5月29日

あれから10日が経ちました。

HPは何も無かったかのように平静に戻りました。
「瞬間風速」は何時もの事です。
しかし、その瞬間風速が何かを運んでくれたと信じています。
新たな関心・協力がそれです。

3年が過ぎれば次の報道(瞬間風速)は何時になるか解りません。
もしかしたらもう吹かないかもしれません。
しかしそれをとやかく言ったところで仕方が無いと思います。
「マスコミの力」や「ペンの正義」
良い意味での影響力は喉から手が出るくらい必要な事です。

しかし我々民間人に出来る事を精一杯続けて行く事が「使命」だと思います。
それしか出来ないですが出来る事をする。
ただそれだけです。



2006年5月26日

友梨ちゃんが行方不明になって3年、そして1週間が過ぎました。

泉州地区の沢山の掲示板には友梨ちゃんのポスターが貼られていますが、ほとんどが色褪せています。
ポスターは貼った時点でその役割を果たしますが、そのポスターを貼って頂いた方の役割はその時点で終わったのでしょうか?
「更新する事」を忘れていないでしょうか?

HPは更新をしないと古新聞と同じで誰も見向きをしてくれません。
掲示板のポスターも色褪せた時点でそれと同じ事が言えないでしょうか?

「協力して頂く事」は本当に有り難い事です。
しかし「協力を続けて頂く事」は難しい事だと思いますが、友梨ちゃん救出には必要な事です。

どうか協力して頂いた時の気持ちを思い出して、今一度ご協力をお願い致します。


2006年5月25日

最近スパムメールは減って来ましたが、ウイルスメールが毎日来るようになりました。

webの「罪」の部分です。
私はHPを始めて「功」の部分に多く触れて来ました。
「支援」「応援」「協力」そして「良き仲間」です。

昔はwebの付き合いはバーチャルな付き合いだと思っていましたし、実際そう言う付き合いもして来ました。
しかし、支援活動を通じて多くの方と交流するようになりました。
実際お会いして現地に行ったりポスターをお渡ししたりご協力のお礼にお伺いしたり・・。

最近忙しくて現実の世界だけでなくwebの世界でも疎遠になっている方も多いですが、いつも何処かで繋がっていると言う感覚があります。

また近々そのような方とお会い出来ると思っています。



2006年5月24日

先日(17日)に営業車に貼っている友梨ちゃんのステッカーを貼り変えました。

以前貼ったのは何時だったかと思い過去日記を読んでみると、昨年の10月17日に貼り替えたものでした。
家で印刷したものですので夏場は2ヶ月で色褪せてしまいましたが、日差しの緩い秋から春の時期でしたので7ヶ月耐えてくれました。
家で印刷した最後の一枚ですので、もう貼り替える事の無い様、友梨ちゃんが無事発見される事を願いながら貼りました。

6枚印刷して1枚をカッティングで失敗しましたので合計5枚。
一枚目を貼ってから1年1ヶ月。
貼り替える度に「これを新しいものに替えるまでに」と願い続けて4度。

もう新しいステッカーを印刷しなくても良いように・・。



2006年5月23日

「捜索の輪!」活動は報道と報道の間を補完する役目があると思っています。

新聞などに掲載された時は検索エンジンからのアクセス数が普段の数倍から10倍ほどに伸びます。
しかし、普段はブックマーク、リンク協力サイト様からがほとんどです。

先日チラシ配りをされた青年団の方から連絡を頂き、彼の心の叫びを聞きました。
「チラシを受け取ってくれた時は思い出してくれますが、すぐに忘れてしまうのだろう」と・・

「皆様に知って頂く為に」
「皆様に思い出して頂く為に」
そして「皆様に忘れられない為に」この活動を続けています。



2006年5月22日

年数を考えると今回の報道が最後では無いかと危惧しております。

3日、3週間、3ヶ月。
これが事件解決へのステップだそうです。
この節目に解決が出来なければ次の節目だと記者の方が仰っていました。

3年は余りにも永過ぎます。
先日取材の時記者の方にお聞きすると言葉を濁しておりました。
何か進展がある、証拠が出た、糸口が見つかった。
変化が無いとこれからの報道には期待出来ません。
しかし友梨ちゃんが行方不明になっている事は紛れも無い事実です。

世間に知って貰う事、世間に忘れ去れない為にも次の報道を願います。



2006年5月21日

昨日で友梨ちゃんが行方不明になって3年を迎えました。

一昨日の夜に友梨ちゃんの記事がヤフトピに掲載された影響で「捜索の輪!」への訪問者が一昨日の23時台の1時間だけで約5,400。
昨日の11時台にヤフトピから外れるまでの約12時間で19,000弱。
この2日間だけで約26,000の訪問を頂きました。
最近の数字からだと2か月分の訪問に匹敵する数値です。

先日から秋田での事件の影響で普段より少し訪問数が多かったですが、今回のこの数字は予想もしておりませんでした。
改めてyahoo!トピックスの影響力には驚かされました。

しかし一昨年の2月20日にも同じようにヤフトピに掲載して頂きました。
その時の2日間で86,000アクセスの数字を考えると確実に関心が薄れて来たように感じられます。

しかしこの影響もすぐに沈黙すると思います。
「瞬間風速」なのはいつも同じですが、その風が何かを残してくれる事を願っています。
しかしこれからは今回のような風は期待出来ないと思います。

あとはその風を感じて下さった皆様から新しい風を吹かせて頂ければ幸いです。
そして地道な活動を通じて一人でも多くの方に伝えて行くしか方法はありません。


2006年5月20日

今日、友梨ちゃんが行方不明になって3年を迎えました。

昨日から新聞やニュースで大きく取り上げられ関心が高まっているように感じます。
しかしそれは瞬間風速でしかないのかもしれません。
今日も友梨ちゃんのお母様がチラシ配りをされました。
もう何度愛する娘さんの為に皆様にお願いをした事でしょう。

今日の3年は本当に大きな意味がある日だと思います。
今までから確実に関心度が下がって来ている状況下で3年を過ぎるとどれだけ意識が低下するのか?
3月4月は卒業・入学の記事が出来ましたがそれも次は3年後になります。
節目は時と共に永くなって来ます。
マスコミの報道も少なくなるでしょう。
世間の関心もそれに正比例して少なくなるでしょう。

これから益々webでの活動が重要視されると考えます。
マスコミのように一度に多くの方に情報の提供は出来ません。
しかし地道な活動は出来ます。
皆様のお力をお借りして一人でも多くの方に知って頂き情報に繋げて行きたいと思います。



2006年5月19日

今日「共同通信」の配信記事が各地方紙に掲載されました。

テレビのニュースでは先日のチラシ配りの様子が報道されていたようです。
今日の記事を読んで一つ気になる事が書かれていました。

・・記事抜粋・・
通学路と脇道の交差点付近でわずか数秒の間に事件に巻き込まれた可能性があることが19日、府警泉佐野署捜査本部の調べで分かった。
・・ここまで・・

3年を目前に解った事はこれだけ?
それを調べるのにこれだけの時間を費やしたと思うと警察側に立てば「それだけ難しい事件」と言えると思いますが、我々にしてみれば「発表出来る事はこれしかないのか?」と憤りを隠せません。

明日は友梨ちゃんが行方不明になって丸3年、4年目を迎えます。
各報道機関が記事の配信をしてくれてる思いますが、その後の事を考えると複雑です。

どうかこれからも報道を続けて下さい。

<SNSより転載>


2006年5月18日

秋田県で昨日から行方不明になっていた山勝豪憲君(7つ)が遺体で発見されました。

本当は昨日行方不明になった豪憲君の事を書こうと思っていたのですが、時間が無くて今日書くつもりでいました。

ところが今日研修中にニュースで知り、ショックを受けました。

ニュースを見た時は「発見」されたと一瞬思ったのですが、良く聞いてみると「遺体で発見」と知り驚きと同時に衝撃を受けました。
「事故」では無く「殺人事件」と聞いて尚一層気持ちの置き所を失いました。

報道では豪憲君の家の2件隣の女児が先月水死体で発見されたばかりだそうです。
私もその事故の事はニュースで見たのを憶えています。
しかし、その時「水難事故」と聞いて少し疑問に感じた記憶があります。
当時「事故」として捜査が終了したようですが今回の事件で再捜査をするようです。

子供が被害に遭う「事故」「事件」はもう二度と聞きたくないと思っていますが後を絶ちません。
何かが狂っているとしか言いようがありませんが、その狂った何かを早く見つけなくてはなりません。


2006年5月17日

1年ぶりに毎日新聞社様の取材を受けました。

朝9時半に記者のI川氏に会社までお越し頂き、近くの喫茶店で約30分話をさせて頂きました。
「サイト開設の経緯」や「今後の活動」など少し話をさせて頂き、後は情報交換のような形でした。
日記を読んで頂いていたのでほとんどの事(私の思いや活動など)は把握して頂いており、確認のような取材でした。

以前も書きましたが、「捜索の輪!」は受身の媒体です。
新聞、テレビ、そしてポータルサイトからの情報を元に皆様がキーボードを叩いて始めて皆様の前に姿を現します。
3年を目前に一人でも多くの方に知って頂く為にはどうしてもメディアの力が必要です。
20日前後に記事が出るかもしれませんが、出ない場合もあると思います。

紙面の都合で仕方が無い事ですが、少しのスペースでも載せて頂きたいと思っております。


2006年5月16日

日曜日のチラシ配りの様子が記事に出ていました。

今回は130名のボランティアの皆様が各配布場所で1万7千枚ものチラシを手渡しました。

記事と共に写真も掲載されていましたが、今回も友梨ちゃんのお母様でした。
お父様は昨年から体調を崩されているご様子ですが、お母様は写真で見る限り気丈に振舞われているように感じました。

以前一度だけご両親にお会いする機会がありご挨拶をさせて頂きましたが、その時も気丈に振舞われておりました。
内心は非常にお辛いはずですが周りの方に心配をかけないようにしている姿には頭が下がる思いです。
「無事を信じているから」こそ気丈でいられるのだとその時感じました。

しかし3年近くもその気持ちを持ち続けている精神力は私には到底真似の出来ない事です。
そのお姿が報いられる時が必ず来ると信じております。

20日には難波、貝塚、和泉中央でチラシ配りが行われます。
情報をお持ちの方は是非捜査本部までご一報下さい。



2006年5月15日

先日捜査本部のご担当者様と電話でお話をさせて頂きました。

「5月20日を目前にサイトから発信する事はないですか?」
今までに何度も同じような事をお聞きしましたが、いつも返ってくる答えは、「皆様からの情報」「不審車両の事」の2点に集約されます。

特に昨日の日記にも書きましたが、「不審車両」「容疑車両」そして「皆様の車両」
「容疑車両」+「皆様の車両」=「不審車両」だと言う事をもう一度考えて頂きたいと思います。

「その日にその付近を通った」と申告して頂く事で「不審車両」−「皆様の車両」=「容疑車両」
の答えが限りなく「1」に近づきます。
その答えを導く為の方程式は上記の簡単な式でしかありません。
しかし、今はまだ「100」であり「1,000」であり「10,000」なのです。

「皆様の車両」の数が限りなく「不審車両」に数に近づくようご協力をお願い致します。



2006年5月12日

5月14日に泉南地区のスーパー数箇所でチラシ配りをするとの話を聞きました。

今まで何かの機会に何度と無く実施されていますが有力情報には繋がっていません。
特に5月20日前後、友梨ちゃんの誕生日の3月31日。
ボランティアさんや地元の方々、PTA関係が集まって必死に呼び掛けをされています。
大阪南部の方で友梨ちゃんの事を知らない人は少ないと思います。
「風化の防止」の為の側面はありますが、「情報提供」が本来の活動目的です。

何十万枚ものチラシを配ったにも拘らず、3年経って未だに進展のしない事件。
あまりにも目撃情報が少な過ぎる事件。
しかし、誰かがきっと知っているはずです。
犯人以外の誰かが・・・。

その一人かもしれないその人からの情報を待っています。



2006年5月11日

未だに不審車両の絞込みが難航していると聞きます。

「その日のその時間にその辺りを通行した!」
「知り合いの車とすれ違った!」
不審車両の特定は「絞込む事」よりも「対象から除外する事」が大切になります。
多くの車両から事件と無関係の車両を除外する事で事件解決への視界が開けます。

一台でも多くの車両を不審車両から外す事で容疑車両に一歩近づきます。
分母を減らす事で限りなく「1」に近づいて行きます。
今はまだ「数百分の1」なのか「数千分の1」なのか、もしかしたら「「数万分の1」なのかもしれません。

「分母を減らす事」これが皆様からの情報、申告が無い限り一向に減りません。
いや、減るのに時間が掛かり過ぎます。
その為の情報提供、自己申告が必要になって来ます。

もしかしたら皆様の車が不審車両のリストに載っているかもしれません。



2006年5月10日

各ページに貼っていたメアドを削除してから徐々にスパムメールが減って来ました。

日に寄っては10通くらいの日もあれば50通を超える日もありますが、以前よりも確実に減って来ました。
これで当分メアドの変更の必要が無くなったと思います。

しかし、今送られて来る内容のほとんどは「出会い系」のサイトです。
個人名で送られて来る事が多いので全て中身の確認をしないと削除出来ません。
今まで何度も消しかけて「これは違う!」と言うシーンが時々あります。
本当に「ややこしいメール」は送らないで欲しいものです。

私はそんなに暇ではありません。
短時間でHPやblogの更新、メール・掲示板の返信をしなければなりません。(blogのレスは半年以上失念しておりますが・・)
何度も書きますが協力して欲しいとは言いませんが、邪魔だけはしないで頂きたいです。

送る方は適当に送って相手がエサに掛かるのを待っているだけですが、私は協力者の方から送られて来たメールの選別をしなければなりません。
今は少なくなりましたがその一通のメールを心待ちにしているのです。


2006年5月 9日

小学1年生だった息子が友梨ちゃんが行方不明になった時と同じ4年生になりました。

私も4月で転勤して1年半になります。
息子の入学、私の転勤どちらも昨日の事のように感じます。
しかし、吉川様は私のように平穏無事な年月では無かったのです。
日夜友梨ちゃんの帰りを待ち続け、来る日も来る日の捜索の日々を送られております。

何時ゴールに辿り着けるのか?
何処がゴール地点なのか?
ゴール地点もゴールまでの距離もわからないマラソンほど辛いものは無いと思います。

「ゴールがあるから前に進めます。」
「目標があるから頑張れます。」
今の吉川様の目標は当然友梨ちゃんの無事帰還である事は間違い無い事ですが、一体何時?
今日なのか、明日なのか、それとも来月なのか?

必ずゴールまで辿り着ける事を信じています。
私は沿道で声援を送る事しか出来ませんが、立ち止まらないで前へ進んでください。


2006年5月 8日

先日半年振りに「友梨ちゃんが行方不明になった現場」に行って来ました。

前回は車から降りませんでしたが、今回はゆっくりと歩いてみました。
本当に狭い道ですので、道に車が止まっているだけで目立つ事を改めて感じました。
そして「意外と」通行量がある事にも驚きました。

今回の時間は休日の午前中。
犯行時間は平日の3時頃。
どちらの方が通行量が多いのかは解りませんが、歩いていると一台一台の車両の特徴が印象に残りました。
意識をしているからだとは思いますが、もっと現場付近からの情報(目撃情報、有力情報)があっても良いのでは・・。

そう感じた一日でした。



2006年5月 5日

最近漸く解析をしながら「ゆりちゃんの輪!!」へのリンク作業を再開しました。

以前はこれが一番大きな作業でしたが、リンクが多くなるにつれて減って来ました。
連絡を頂いたサイト様だけを載せるようになって長時間経ちました。
しかし今でも連絡なしで呼び掛けをして下さっているサイト様を多く見かけます。
帰宅してからの作業時間が限られているので毎日は出来ませんので休日にリンク元解析を続けようと思っています。

解析システムからリンク元を突き止めて、「ゆりちゃんの輪!!」のページに掲載・未掲載をチェックしてからリンク作業をしています。
しかし時々「重複」して掲載してしまう時があります。

現在1,492サイト。
しかし一割強は閉鎖、移転、リンクの解除があるように思いますので実数は1,300くらいしょうか?
その1,300サイト様からの訪問が全体の85%ほどになっています。
その他検索エンジンから10%、ブックマークから5%。
総訪問数が増えれば、検索エンジンからの訪問が単純に増、ブックマークは減。
減ればその逆の減少です。

協力サイト様、ブックマークからの訪問者様はある程度固定化されているようですので数字の変化は外的要因が影響しているようです。
それはマスコが動いた時です。
ニュース・記事の配信が関心に繋がり検索をする。
それが一つの切っ掛けで新たな協力に繋がって行きます。

5月20日まであと2週間。
そろそろマスコミの動きが出て来ても良い頃だと思います。



2006年5月 4日

以前「SNS」の事を書きましたがblogと同様横の繋がりが非常に早い媒体のようです。

現在PCサイト、携帯サイト、blogから情報発信をしておりますが「SNS」でもその動きが出て来ました。
私はこれを第4のサイトと呼ぶ事にします。

「SNS」は友人、知人の紹介が無いと登録が出来ません。
それだけ繋がりが必要であり、その繋がりが威力を発揮します。
自分のサイトを作り友達を増やす。
次に共通の趣味などの集まりの場である「コミュニティ」を作ったり参加したりする訳です。
そしてまたそこから新しい友達を作る。
そうしながらどんどん知人を増やして行きます。
当然それと同時に情報も一緒に付いて行きます。

困った事、緊急な案件などをそのネットワークを使って発信する。
それが友達から友達へ、知人から知人へと伝わって行きます。

情報はある時期から急に一人歩きを始めます。
それまでは知って貰える様に努力・工夫が必要です。



2006年5月 3日

昨日のアクセス数の続きです。

昨日も書きましたが、HP版「捜索の輪!」への窓口(ポータル)の為にblog版「捜索の輪!」を作りましたが、開設して少し経ってからの解析の結果HP版とblog版の訪問者は別だと結論付けました。
それなら同じレベルで運用をしても大丈夫だと判断してblogの日記をそのままHP版に転載しています。
HP版400、blog版100。
この数字が「捜索の輪!」の日々の訪問者数です。

また、現在別の窓口を構築中ですがこちらは今のところほとんど訪問がありません。
手法が違うのか、訴求方法が違うのか、暫く静観して進退を決めようと思っています。

今は少しでも多くの蛇口を作って情報の発信をしていこうと思っています。
webでの発信は何かの切っ掛けで大きく化ける事がありますので地道に続けて行く事が必要です。

きっと一人歩きを始めてくれると信じています。



2006年5月 2日

一時期減っていたアクセス数が少し増加傾向にあります。

永年400アクセス/日が続いていましたので発信の強化の為、蛇口を広げる為にblogを作りましたが一向に上昇傾向には至りませんでした。
blog版「捜索の輪!」からHP版「捜索の輪!」への訪問はたったの0.5%。
10,000アクセスの内50アクセスにしかなりません。
逆にこの数ヶ月は日を追う事に徐々にアクセス数が下がり300台の日が多くなりました。
200台の時も時々あり、このままではサイトの存在意義が無くなってしまうのではと感じる事もありました。
しかし、4月6日の友梨ちゃんの入学式を境に以前の400台に戻りました。

他の有名サイトでは10,000/日を超えるところも多くありますが、私はこの400を死守していかなければなりません。

たかが(たった)400 されど(貴重な)400。



2006年5月 1日

今日から5月です。

あと20日で友梨ちゃんが行方不明になって3年になります。
時々捜査本部の担当者と情報交換をさせて頂きますが、あまり芳しい話を聞く事が出来ません。
重要な情報を握っているかもしれませんが一般人には教えては貰えませんので・・。

この3週間は警察にとっても非常に重要な時期になってくると思います。
世間の関心が友梨ちゃんの卒業式から入学式、そして5月20日と繋がっている時期だからです。
この時期に一気に情報収集にしなければ3年を過ぎてからとでは大きな違いがあります。

今年の5月20日は重要な「ターニングポイント」になる事は間違いありません。
これからの一日一日が勝負だと思います。

2006年4月28日

先日「呼び掛けをしたいのですがどんな方法が良いか?」との問い合わせを頂きました。

私は返信で「売名行為」の事と「協力」の事を書かせて頂きました。
以下に抜粋した内容を明記致します。

上が「売名行為」のついての私の意見。
下が「協力」に対する意見です。

企業、団体からの協力の時に「売名行為と言われる事を覚悟して下さい」との言葉を添えて返事をさせて頂いております。
そして「今一番大事な事は情報の発信だと思います。」とも言わせて頂いております。
個人なら「協力」、企業・団体は「売名」
そう解釈する人が少なからずいる事も確かです。
私は「売名」でも「偽善」でもそんな事は気にしません。
そして気にしないで欲しいと思います。
先に書かせて頂いたように「何が大切か」それだけだと思っております。

非常に難しい問題だと思っております。
何故なら「自主的な協力」が「依頼的協力」になるかもしれない」と言う事です。
サイトに訪れてくれた方が自分の意思で協力して下さる、それが現在の捜索の輪!
の基本活動だと思っております。
自分に出来る事(リンクを貼る、知り合いに協力を依頼する、ポスターを配る等々)を自分で考え、行動してくれています。
その自主性が今までサイトを支えてくれた原動力だと思っています。

協力を頂いて偉そうな事を書かせて頂きましたが活動を始めて3年弱。
その間に皆様から教えられた事です。
私は回りに何を言われてもそれに甘んじる覚悟で活動を行って参りました。
それは友梨ちゃんやご両親の苦しみは比べたらとるに足らない事だと思っています。



2006年4月27日

HP版捜索の輪!の近況情報を時々読み返しています。

2003年の5月、6月は「捜査」の状況についての記事が多かったですが、その後8月と11月に少し、それから1年を迎えた2004年5月までは「ビラ配り」「安全対策」等、捜査状況の記事はありませんでした。
2005年の5月に至っては「有力な手がかりはなく、捜査は難航している」とのコメントがあるだけです。

目撃情報の乏しさ、物的証拠も皆無と厳しい捜査を強いられているのは理解していますが、捜査の進展が全く見えてこないのが心配です。
後3週間ほどで友梨ちゃんが行方不明になって丸3年になります。
今までの捜査資料から友梨ちゃんに、そして犯人に辿り着けるのでしょうか?
一歩でも二歩でも近づいて行っているなら時間は掛かっても辿り着けるはずです。

しかし、事件発生からその場に立ち止まっているなら・・・。



2006年4月26日

「友梨ちゃん」と「友梨さん」

先日「近況報告」の作業をしている時に初めて気付きました。
私は今まで一貫して「友梨ちゃん」と言っていましたが、4月に入り急に「さん」が増えたので中学生から「さん付け」になるのかと思い記事を読み返してみました。

すると「毎日新聞社」は行方不明当初から「友梨ちゃん」ではなく「友梨さん」でした。
何故か2記事だけ「ちゃん」があるのは記者が違うからでしょうか?

家の4月6日付の読売新聞の夕刊は「友梨さん」になっていました。

先月までは「友梨ちゃん」になっている事を考えれば概ね中学生からは「さん」にすると言う認識が各社にあるような気がします。
小学生が中学生になるだけでこんな部分でも違ってくるのだと思うと複雑な気持ちです。
それだけ長期化しているのが敬称にも現われています。

これからの報道は「友梨ちゃん」ではなく「友梨さん」になるのだと思いますが、捜索の輪!ではこれまで通り「友梨ちゃん」と明記して行きます。

報道期間の呼び方が変わっても「ご家族」や「我々」は写真の吉川友梨ちゃんを捜しているのだと思います。
止まったままの時間が早く動き出して欲しいと心から願っております。


2006年4月25日

JR福知山線脱線事故から1年が経ちました。

私が事故を知ったのは前の事務所に勤務している時でした。
ビル1Fの守衛室でテレビに齧りついている守衛さんに声を掛けられ、最初は「また事故か!」と思いテレビの画面を覗き込むと信じられない光景が飛び込んで来ました。

あれから1年。
先日から新聞では遺族の方々の生活などが特集として組まれています。
突然愛する家族を奪われ「怒りのぶつけ様の無い心情」「奥様を亡くされ家事全般をやりながら奥様の軌跡を追い続けている姿」
「携帯電話にメールを送り続けているご家族」様々な1年を過ごされております。

1年前に自分のblogで下記のような事を書きました。

『この20日に向けてのメディアの動きが先の「JR事故」の影響でどうなるのか懸念しておりましたので少し安心しました。
以前もある新聞社の取材の時「急な事件が入ったので・・」とドタキャンがありました。
「事件」「事故」で動くのが社会部記者です。
「JR事故」では相当数の社会部記者が取材に動いたと思います。
不謹慎な言い方ですが「事故」が20日前なら完全に紙面から弾かれていたと思います。』

苦情が寄せられる事を承知で載せましたが予想通り来ました。
例え方が不味いのは充分認識しての発言でしたが「大惨事」は当然大きく報道がなされ、また皆様の記憶に深く残ります。
しかし「友梨ちゃん事件」はたった一人の少女の行方不明事件です。

死者107名負傷者460名とは比較にならないかもしれませんが、ご家族にとってはたった一人の大事なお嬢さんです。
ややもすれば世間から忘れられてしまう事件かもしれません。
その為マスコミの報道が非常に大事であり大切であり必要なのです。

ご家族は「節目は感じた事が無い」と仰っていますが、マスコミや世間は「節目」を感じるのだと思います。

昨年の5月14日に新聞社の取材の事を書いた時に先の内容を載せました。
「事件・事故」で動くのが社会部記者です。
今年も何か大きな「事件・事故」があれば人も紙面もそちらに注力するはずです。

だからこそ非常に大切な5月20日なのです。



2006年4月24日

昨日漸く友梨ちゃんが行方不明になった現場周辺の写真を入れたページをアップしました。

以前から掲示板やメールで「現場の写真を」との要望があり、また私も今まで一度しか現場を訪れていなかったので、念願の二度目の現場訪問に併せて写真を撮って来ました。
過去に現場を通った方、事件前後に通った方は改めて現場周辺の事や当時の記憶を、そして一度も現場を訪れた事の無い方は実感として受け止めて頂けたと思います。

この場所の何処かで友梨ちゃんは何者かに拉致されました。
目撃情報が無いので確定ではありませんが、ほぼ車両が犯行に使われた事は間違い無い事だと思います。
こんな狭い道で停まっている車なら通行の妨げになります。
そして非常に目立つはずです。

2003年5月20日(火)午後3時前後にこの付近を通行した方、そしてその時間帯に走行並びに駐車していた車を見かけた方は是非捜査本部までご一報下さい。

皆様からの情報がもっと必要です。



2006年4月21日

ついに2年11ヶ月が経過してしまいました。

後1ヶ月で友梨ちゃんが行方不明になって3年です。
1年、2年、そして3年。
何かにつけて3年は大きな節目だと思います。
幼稚園は年少・年中・年長の3年、小学生は低学年の3年、高学年の3年。
そして中学生の3年、高校生の3年。

「石の上にも3年」
この言葉は「何事も3年続ければ何とかなる」と言う意味だと私は解釈しています。
また別の意味は「3年続ければ見極めが出来る」のだと思います。
それだけ多くの意味・心構え・信念・判断が交差するのが3年だと思います。

そう考えれば「一区切り」の時期なのかもしれません。
捜査・報道も転換期が来ているかもしれません。
捜査方針・取材方針も今までの3年間とは違ってくるかもしれません。

しかし「捜索の輪!」は今までと同様、いや今まで以上に活動を続けて行く所存です。
友梨ちゃんが見つかるまで「区切り」や「転換期」はありません。



2006年4月20日

「スパムメール対策」の一環として、現在捜索の輪!のトップページ以外に貼っている「連絡先」を削除しました。

前回のメアド変更の前までは全てのページに貼っていましたが、同じ内容のスパムメールが複数来るのはこれが原因だと思い一部を残して削除しました。
しかし、相変わらず複数の同じメールが来るのでトップページ以外のメアドは全て削除をさせて頂きました。
これで新規?のスパムメールが一つでも減ると有り難いのですが・・・。

本来各ページに連絡先を入れていたのは、ページを訪れて下さった方が「ちょっと連絡しよう!」と思って下さった時に判りやすいと思い貼っていたのが悪影響を及ぼしたようです。
今後は大変申し訳ございませんが、トップページからお願い致します。
これで駄目なら「メールフォーム」を利用しないといけなくなりかもしれません。

しかし連日50以上のスパムメールが送られて来ます。



2006年4月19日

先日、友梨ちゃんのポスター・ステッカーを貼っている車を6台見かけました。

今までは2.3ヶ月に1台でしたのでその多さに驚きと同時に嬉しさを感じました。
それは友梨ちゃんの入学式の頃でした。
その時の報道を見て協力して頂いたのか、以前からなのか?

協力は本当に些細な切っ掛けから始まると思います。
「人から聞いた・テレビ・新聞・webで見た」
「自分も同じように子供がいるから」
「ポスター・ステッカーを貰ったから」
偶然なのかもしれませんし必然なのかのしれません?
何れにしろ「気になったから」協力に繋がったのだと思います。

事件を知り、何かしようと思い、そして材料がある。
それが車のポスター・ステッカーであり、街角のポスターだと思います。



2006年4月18日

先日久しぶりに泉佐野警察に行って来ました。

捜査本部の担当者様と近くの喫茶店で情報交換と同行の打ち合わせ。
今回は捜索の輪!の掲示番の書き込みを印刷したものと他の資料を持ってお伺いしました。
約1時間お話をさせて頂きましたが、未だに不審車両の捜査が難航しているようです。

「容疑車両を捜す前に容疑車両から除外する作業」
私は「2年11ヶ月前の事は憶えてないでしょう」と言うと「仕事や商売をしている人なら手帳や伝票からその日の行動を思い出して貰えるはず」と仰っていました。

納品伝票などには日付が入っているからです。
伝票を繰って頂き2003年5月20日の伝票を探してみてください。

きっと記憶が蘇って来るはずです。



2006年4月17日

「まなちゃんを救う会」にまなちゃんのお父様からのメッセージが掲載されていました。

「無事渡米出来た報告」と「まなちゃんや現地の様子」です。
非常に丁寧な報告は現地での落ち着いた様子が伺えます。
それはまなちゃんの容態が安定している事を物語っていると思います。

募金総額も2億円を超えましたのでそれも気持ちを落ち着ける要因になっているのでしょう。
また近々お母様からのメッセージがあるようですのでまた違った報告を知る事が出来そうです。

以前も書きましたがwebの良いところはこんな事を言うのだと思います。
新聞にも載らない事実・現実。
時には悲しい知らせを目の当たりにする時もありますが、まなちゃんのように刻々と変化する現地の状況をする事で無事を祈っている多くの方に伝える事が出来ます。
「応援して良かった!」「募金して良かった!」「元気でいて欲しい!」

更新する事は大変な事だと思いますが、時々で良いですので続けて欲しいと思います。
まなちゃんが無事移植が出来る日まで、いやそれ以後もご家族3人元気で頑張って頂きたいと思います。


2006年4月14日

一昨日の「まなちゃんを救う会」のHPにまなちゃん渡米の報告がありました。

ご両親からのメッセージはまなちゃんの状況報告ですが、非常に落ち着いた感じで書かれていますが必ず元気で帰って来るとの力強い意志も感じました。
それはきっと多くの方の支援が背中を押しているからだと思います。
沢山の方がまなちゃんの移植の費用の為に奔放され、多くの方がそれに答えて下さりました。
「私達家族だけでは無い。沢山の方がまなちゃんを見守ってくれている。」そう感じて下さっていると思います。

出発は昨日。
無事現地の医療チームにバトンタッチが出来、移植まで万全の体制でいて頂きたいと思います。
そして手術の成功、拒絶反応のと闘い。
まだまだ多くのハードルがありますが、必ず元気な姿で帰国出来る事を信じております。

「まなちゃん!行ってらっしゃい!」


2006年4月13日

少し前の話になりますが、下表は4日の「捜索の輪!」のアクセス推移です。

19時台にyahoo!のトピックスに友梨ちゃんの記事が載り22時台に外れました。
2004年の2月20日に同じようにyahoo!のトピックスに掲載された時は1日で80,000アクセスあった事を考えれば関心度が極端に低くなっています。
その時は「捜索の輪!」の紹介もして頂いたのが数字に表れたのかもしれません。
しかし80,000と1,000ではあまりにも違い過ぎます。
yahoo!のトピックスに載らなくても記事の配信があれば1,000を超える事もありますので2年と言う歳月がそのまま数字に表れているでしょうか?

yahoo!トピックス友梨ちゃんの事が載ってもこの有様ですので、それを考えれば今回の数字には危機感すら感じます。

31
17

22
14

11
8

4
2

6
5

2
2

10
6

7
5

12
7

9
9

12
9

18
11

13
10

19
13

13
7

19
14

32
13

55
29

34
16

128
78

205
125

286
130

174
83

71
30

0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23


2006年4月12日

一昨日のアクセス数の原因が解りました。

9日秋田県で行方不明になっていた畠山彩香ちゃん(9)が遺体で発見されたニュースが関連しているようです。
キーワードは「行方不明」、彩香ちゃんは友梨ちゃんが行方不明なった時と同い年です。
残念な結果に終わりましたが、事件性は無いようだと報道されています。
しかし、事故にしろ事件に巻き込まれたにしろ大事な命が失われた事には変わりは有りません。

大人がもっと注意して子供の安全を守っていかなければならない事を改めて感じました。
事故の経緯はまだ公表されていませんが、誤って川に転落したのか、誰かに突き落とされたのか?

誰かが見ていれば防げた事かもしれません。
誰かが見ていれば助けられたかもしれません。

一人で歩いている子供をもっと注意深く見て行く事が大事な事です。
彩香ちゃんのご冥福をお祈り申し上げます。



2006年4月11日

昨日は久しぶりに700アクセスを超えました。

リンク元を解析すると「yahoo!登録サイト」からが全体の24%ありました。
700アクセスの24.5%ですので、約170アクセス。
何かの報道がされた時はここからのアクセスが増えます。
今回は何処からの報道なのか判りませんが、何処かで何らかの形で報道されたのだと思います。
普段は大体3〜6%ですので、数倍から10倍近いアクセスになります。

検索エンジンからのアクセス数を調べてみると直近の3ヶ月では数%〜10%ですので概ね同じような数値が出ています。
何れにしろマスコミの報道は大きな牽引力になります。
「忘れられない様に」
「思い出してもらえる様に」

これからも記事の配信を強く願います。



2006年4月10日

「羽純さんを救う会」様のサイトにお伺いして・・・。
4月2日にドナーが見つかり無事手術が成功したと書かれた次の行に・・。

術後様態が急変して手術から3時間後に羽純さんは20歳の生涯を閉じました。
あまりの突然の事で言葉も見つかりません。

サイトには彼女のコメントが書かれていました。
何気ない言葉ですがとても重い言葉だと思います。

皆さん何気なく生活していると思いますが、
その何気なさが幸せなんですよ!
今、頭をかかえて悩んでる人、人生
つまんないなぁ〜と思っている人、
今までずーっと幸せじゃないって
コトはないと思います!!
それに今が幸せなんです!!
とにかく私が言いたいコトは自分や家族、
他人の命は大切に!
                羽純


その文章を読んで今の自分が「何でこんな事でクヨクヨしているのか!」そう感じました。
生きている事、元気な事、それが幸せな事なんだと・・・。

羽純さんのご冥福をお祈り申し上げます。



2006年4月7日

昨日は記事の配信が多くありました。

先月の卒業式の時もそうでしたが、今回も式の事だけしか書かれていませんでした。
捜査は未だに遅々として進んでいないようで時間だけで虚しく過ぎて行っています。
もっと具体的な捜査内容を公表して欲しいといつも思うのですが、事件の特異性を考えれば「公表する時」=「解決の時」なのでしょうか?

寄せられた情報はこれまで2,000件に達していますが有力情報には繋がっていないようです。
時間が経てば経つほど情報の信頼性、鮮度が落ちて行きます。
今までの情報の再確認・再検証、そして新たな情報を如何にすれば得られるか?

友梨ちゃんと犯人が接触した時点の情報が一つでもあればもっと早く解決していたはずです。
しかし不思議にもその情報がありません(公表されていないだけかもしれませんが・・)

接触地点は?接触時間は?それは何分間か?犯人は男か女か?単独か複数か?車両は?
3番目まではほぼ特定されているようですが、後の3つで糸口になるのは車両だけだと思います。
それも膨大な台数からたった1台を見つけるのに今まで費やした時間だけでは足りないのかもしれません。

「その日のその時間帯にその付近を通行した!」
皆様からのその一言で絞込みが出来るはずです。



2006年4月6日

今日は友梨ちゃんの中学校の入学式でした。

先月の卒業式。
そして今回の入学式。
どちらも本人不在のまま式が執り行われた事に深い悲しみと憤りを感じます。

子供の成長を見るのが親御さんの一番の楽しみだと私自身も実感しています。
健康で人様に迷惑を掛けなければ多少勉強が出来なくても運動が駄目でも親とすれば一日一日の成長が喜びであり、生きる張り合いでもあります。
その対象である我が子の成長を2年10ヶ月もの間見る事が叶わない悔しさは言葉には表わせません。
今月の20日で2年11ヶ月、そして5月20日で3年です。

今日は新聞・テレビ、そしてwebで記事の配信がありました。
またご協力者の笠原様よりweb配信記事のご連絡を頂きました。
いつも気にかけて頂き本当にありがとうございます。

我々に出来る事は一日でも永く、一人でも多くの方の記憶に留めて頂く為の情報発信。
そして、有力情報に繋げる為の情報発信しかないと思います。



2006年4月5日

昨日友梨ちゃんの記事の配信があります。

久しぶりにyahoo!トピックスに掲載されました。
関連ニュースでは他の行方不明の子供さんを呼び掛ける警察のサイトがリンクされていました。
しかしその中で8年9ヶ月前から行方不明になっている「金子恵理ちゃん」の記事を見つけました。
捜索の輪!にリンクしていなかったので検索エンジンで捜してみると・・・
2005年7月9日の捜索の輪!のblogに辿り着きました。

その時は「岩手県警のHPには情報呼び掛けのページは無いようでした。」と書きましたが、今日改めて調べて見ると所轄の「久慈警察署」のサイトで呼び掛けをしているのがわかりました。
恵理ちゃんは行方不明当時の年齢は6歳現在14歳になっています。

捜索の輪!でも昨日急遽リンクを貼らせて頂きました。
事件の事、恵理ちゃんの事を知って頂きたいと思います。
そして情報をお願い致します。


2006年4月4日

3月31日の友梨ちゃんの誕生日の日の記事をyahoo!で見つける事が出来ました。

毎日新聞の配信記事です。
今年は友梨ちゃんのお母さんが難波駅でビラ配りをされた事が書かれていました。
昨年、一昨年はお父さんが難波駅でビラを配られたのですが、最近体調を崩されていると聞いていますので自宅で友梨ちゃんの帰りを待っていた事でしょう。

愛する娘の誕生日にお祝いが出来ずビラ配りをする。
本当に酷い事だと思います。
誕生日、半年区切りと「節目は感じていない」と仰っていましたが、どうしても節目には動かずにはおれないのだと思います。
私は今まで一度もビラ配りに参加した事がありません。
人それぞれ役割があると自分では思っています。
「ビラを配る人」「ポスターの掲示をお願いに回る人」「webで呼び掛ける人」

出来る範囲でそれぞれ活動をされていると思います。



2006年4月3日

残念ながら友梨ちゃんの誕生日が終わってしまいました。

31日は何かしらの報道があると期待していましたが、私が調べた限りでは記事の配信は見つかりませんでした。
掲示板の書き込みから推測してテレビのニュースで取り上げられたかもしれません。
しかしアクセス数から考えるとそれほどニュースにもならなかったように感じます。

以前新聞の取材の時にある記者の方が「記者が記事を書いてもそれを紙面に載せるか載せないかの別の人の判断になるので・・・」と仰っていました。
現場に一番近い人間は思い入れもあれば現場の空気も感じています。
しかし現実はもっとクールな状況で紙面の編集が行われます。

次は4月6日の入学式が重要な一日になると思っています。
これが過ぎると次は5月20日です。



2006年3月31日

3月31日、今日は友梨ちゃんの12回目の誕生日です。

私事ですが昨年は私の母親の誕生日(3月30日)を忘れてしまうほどこの日に固執していました。
「誕生日だと言う事」
「メディアからの発信が期待出来る事」
と言う理由から非常に大事な一日だと認識し活動を行って参りました。

昨年の3月は新聞社様に友梨ちゃんに関する記事の提供をお願いし、産経新聞社様、毎日新聞社様、読売新聞社様から記事の提供を受け「近況情報」に私がwebから集めて転載した記事以外の多くの記事の掲載をする事が出来ました。
また、仙台で行方不明になっていた女の子のblogやyahoo!の記事から多くの方に訪問して頂きました。
何度も書く事ですが、友梨ちゃんの事やサイトの存在を知って頂く事は、何かの切っ掛けや媒体から誘引するしかないと思っております。

その為にメディアの露出は非常に大切なファクターだと思います。


2006年3月30日

明日は友梨ちゃんの誕生日です。

行方不明になってもう三度目のこの日を迎えます。
行方不明の時の年齢は9歳(小4)、そして明日で12歳になります。
捜索の輪!で年齢を掲載している箇所は明日までに全て変更する事になります。
今日までは11歳(小学6年生)が明日からは12歳、そして「新中学生」です。

明日の誕生日、そして4月6日は彼女の新しい出発の日の熊取町立北中学校の入学式があります。

入学式まであと一週間。
今度は彼女の為に用意された「椅子」に友梨ちゃん本人が座れる事を願いながら今日の日記を終わりたいと思います。


2006年3月29日

現在のリンク協力サイト数は1,400以上。

その一つ一つのサイト様から情報の発信を行って頂いております。
そのうち約1割は閉鎖・移転をされているように思いますがその修正作業までは手が回りません。

今まで100サイト増えるのに最長でも4ヶ月でしたのが、1,400が昨年の8月ですので既に7ヶ月以上経過しました。
現在1,473サイト、1ヶ月で10サイト増の計算になります。
この分で行くと1,500サイトになるのは今年の6月です。

アクセス数、リンク数、メール、掲示板への書き込み等。
全ては少なくなっています。
blogに至っては100アクセス前後を何とか維持していますが、何もしないと4.50の日もあります。

今一番必要なのは「捜査状況の報告」だと考えます。
「警察は本当に捜査をしているの?」
「一体何を調べているの?」
それを伝える事で今以上の関心・協力に繋がると思います。

「何も見えないから・・・」
「止まっているとしか思えないから・・・」



2006年3月28日

アクセス数が減った影響で10,000アクセスに1ヶ月を要するようになりました。

今までは月別に変動しても平均二ヶ月で30,000アクセスを維持して来ましたが、今年になってから単月で10,000強のアクセスしかありません。
1,000以上のサイト様でリンクを貼って頂いてこの数字には危機感を感じます。

以前「クワガタ関係」のサイト様の協力でクワガタ繋がりでリンク数が増えました。
また、少年野球のサイト様の呼び掛けもありました。
最近そんなカテゴリーでの繋がりがほとんどありませんでしたが、先日より「柔道繋がり」での協力がありました。

webの強みはリンクと言う「繋がり」だと思います。
同じカテゴリーのサイト様でバナーを見つけサイトにご来訪頂き協力に繋がる。

これが「かおりん様」がblogにも書かれていた「善意のバトン」だと思います。


2006年3月27日

「まなちゃんを救う会」の募金額が1億8,000万円を超えました。

目標額に達した今でも金額は増えています。

25日のお母さんの日記を読んで「生きている事の尊さ」を感じました。
我々は普通に生きて行く事が当たり前なのですが、まなちゃんには一日一日が生きる為の闘いなのです。

彼女の心臓はおっぱいを飲む事が出来ないほど衰弱しているそうです。
しかし、まなちゃんは「実際の愛は、おっぱいをしゃぶったまま眠りに付くほど、おっぱいに対する根性を見せています。何としても生きようと、愛なりに必死なのかもしれません。」
とのお母さんの言葉です。

生きる為の本能を一番持っているのが赤ちゃんの時期なのでしょう。
「頑張れ!まなちゃん!」



2006年3月24日

17日に1,000アクセスを超えた事を書きましたが、翌18日はその半分のアクセスに減ってしまいました。

瞬間風速、それも「そよ風」程度の風でした。
一昨年の2月20日、昨年の3月。
その時は数千から数万のアクセスが数日続きました。
前者はyahoo!トッピクスに載った時、後者は娘さんを捜すblogの反響でした。

webで活動している者はwebの反応が気になります。
そのバロメータの一つがアクセス数です。
「今日は何人の人が来て下さった!」
「今日は何人の人に友梨ちゃんの事を知って頂いた!」
「今日は何人の人が呼び掛けを協力をして下さった!」
日々そのような事を思いながらカウンターを見ています。

「そろそろ風化の足音が聞こえて来たか?」
そう思う時もあります。
急にアクセスが増えると「記事の配信があったのか?」
アクセス数の裏に隠された反応や動きや状況。
アクセス数に一喜一憂しながら見ています。

我々民間人の出来る事は「捜査」では無く「捜査を助ける為の情報発信・情報提供」です。
「風化を防ぐ為の呼び掛け・活動」です。

「知って貰う事」から「忘れないで貰う事」
「協力して貰う事」から「協力を続けて貰う事」



2006年3月23日

今回(3月17日、18日)の記事の配信で当方が確認・転載出来た記事は6記事でした。

毎日新聞、共同通信、時事通信の配信記事です。
goolgeアラート、yahoo!ニュース、そして支援者の笠原様から記事のご連絡を頂きました。

配信記事でwebに載らない記事はもっと多くあったと思います。
また、テレビニュースの記事がwebで瞬間的に掲載されましたが、私が帰宅してurlを開いた時には既に削除された後でした。

刻々と情勢は変わっているのは判りますが、せめてその日一日だけでも何処かに残して置いて欲しいと思います。
あまりにもサイクルが早過ぎて、見逃してしまう記事が多過ぎます。

友梨ちゃんの記事を意識している私でさえ見逃してしまうくらいですから、多くの方が友梨ちゃんの事を知らずに過しているかもしれません。


2006年3月22日

先週の金曜日、新聞・テレビのニュースの影響で久しぶりに1,000アクセスを超えました。

大きく報道して頂く事で関心・協力に繋がります。
しかしその反面「おかしな書き込み」とも同時に繋がってしまいます。

いつも感じるのですが、面白半分や無責任な事を書き込んでくる人って一体どんな人間なんでしょう?
自分の身内や知人が同じような目に遭っても同じ事が出来るのでしょうか?
「自分には関係ない」「他人の不幸が楽しい」
以前も同じような事を書いた事を思い出しました。

何度も書きますが協力して欲しいとは言いませんが、邪魔だけはしないで下さい。



2006年3月21日

昨日「救う会」様より目標達成のご報告を頂きましたので拙サイトにて掲載をさせて頂きます。

リンク等の協力の連絡を送った方全員に送られたのだと思いますが大変な作業だったと思います。
以下に内容の一部を掲載させて頂きます。

--以下内容--

「救う会」の活動へのご理解とご協力、誠にありがとうございました。
おかげさまで3月17日に募金総額は目標の1億3600万円を達成いたしました。

これもひとえに多くの皆さま方の多大なるご支援のおかげでございます。
本当にありがとうございました。
まなちゃんのご両親にかわり厚く御礼申し上げます。

これより先、まなちゃんは本格的に米国での心臓移植手術に向けての準備段階に入ります。「救う会」は引き続きまなちゃんを支援して参ります。
皆さまには、まなちゃんが無事渡米し移植手術が成功して元気に帰ってくるまで、温かく見守って頂けましたら幸いです。
今後の経過に関しましては、下記ホームページにて随時お知らせいたします。

--以下省略--



2006年3月20日

「まなちゃんを救う会」の募金総額が16日に目標額を達成しました。

目標額1億3,600万円。
目標額が達成された今も増え続け17日現在で1億5,296万円になっています。
「みつみちゃん」「ななみちゃん」「そしてまなちゃん」
それぞれ病気が判明した時のご両親の落胆から始まり、多くの支援者を得て希望を持ち、「みつみちゃん」のように移植が成功し、「ななみちゃん」のように無事渡米出来ました。
そして次は「まなちゃん」の番です。

まなちゃんの事を知り、サイトの存在を知り、多くの方が情報の発信をしました。
それによって短期間で情報が広まり、その情報を見た多くの方が募金を送ってくれました。

昨日「救う会」事務局様より目標金額達成のご連絡を頂きました。
明日その内容を紹介させて頂きます。

皆様ご支援ありがとうございました。



2006年3月17日

友梨ちゃんの小学校の卒業式が終わってしまいました。

友梨ちゃんが行方不明になって2年9ヶ月25日。
小学校に通ったのは3年と1ヶ月ちょっと。
6年間のうちの約半分しか通えませんでした。
友梨ちゃんの代わりに卒業証書を受け取るご両親の心中を察すると・・・。
いや、私には到底ご両親の気持ちが判る訳がありません。

友梨ちゃんは4月から中学校に進級する事になっていますが、今度も友梨ちゃん不在のまま入学式を迎えるのでしょか?
ご両親は友梨ちゃんの今の身長も体重も判らないまま制服を注文した事と思います。
また新しいカバンや教科書も用意される事と思います。

あと2週間で友梨ちゃんの誕生日です。



2006年3月16日

明日は友梨ちゃんの卒業式です。

本当に時間がありません。
しかし、民間人の我々にとっては発信する事しか出来ません。
発信をし、それに応えて協力して下さる方、情報を警察に連絡して下さる方。
その結果に期待しながら発信を続けるだけです。

捜査の状況は我々が知る事は出来ません。
「友梨ちゃんに少しでも近づいているのか?」
「犯人に少しでも近づいているのか?」
そんな事を考えながら自分に出来る事を行って来ました。
「捜査本部」「教育委員会」
何かアクションを起こしてくれているのでしょうか?
「報道関係者」
情報発信の重要性を認識しつつも商業ベースに乗らない記事は書いて頂けないのでしょうか?

直近の事件・事故の報道も必要ですが、友梨ちゃんは過去に事件では無く、まさに今の事件なのです。

今日明日は友梨ちゃんの事件を大きく報道して頂く事を願います。



2006年3月15日

今日久しぶりに友梨ちゃんのステッカーを貼って下さっている車両を見かけました。

和歌山ナンバーの大型のパネル車でした。
少し後ろに付いて走っていると貝塚港方面に曲がって行きましたので、和歌山〜貝塚を定期的に走っているでしょう。
熊取町近くを走行するので協力に繋がったのだと思います。

私は昨年の10月から泉大津〜泉南郡を担当していますので連日湾岸線、国道26号線を走っていますが、友梨ちゃんのポスター、ステッカーを貼っている車両は2.3ヶ月に一台見るか見ないかです。
頻繁に見ているのでしたら、今日の日記のように「久しぶりに・・・・」など書かないのですが、本当に滅多に見る事はありません。
意識していてこの状態ですので意識しなかったら本当に・・・。

何度も書きますが、我々民間人に出来る事は「情報の発信」が唯一出来る事だと思っています。
一枚のポスター、ステッカーを一人でも多くの方に見て頂く事を続けて行かなければならないと思います。
その小さな積み重ねが事件解決に大きく役立つと思っています。


2006年3月14日

「まなちゃんを救う会」の募金総額が1億円を突破しました。

目標の1億3,600万円まであと少しです。
以前なら「街頭募金」や「店先に置いてある募金箱」、そして「送金」などですが、送金に関しては意識をしないと忘れがちです。
「振込み先は?」
口座名、銀行、口座番号、新聞記事等を持っていないと解りません。
それを忘れて外出してしまったら「送金」したくても「何処に送れば?」
それが今では職場のパソコンからでも確認をする事が出来ます。
私も送金した時は会社で印刷して近くのコンビニから送金した記憶があります。
「しようと言う気持ち」「その為の情報」
両方持ち合わせていないと行動する事は出来ません。

「人間が本来持っている善意の気持ち」と「今の情報化」
それが上手く噛みあっての今回の成果だと思います。



2006年3月13日

先日の日記に「スパムメール」を事を書きました。

するとその件についてのメールやコメントを数件頂きました。
皆様同じような被害に遭い、いろいろな対応をされてるようです。
プロバイダーによっては完全に排除出来るところもあるようですが、それもそれまでには2ヶ月くらい掛かったそうです。

コメントの中で「メールフォーム」を推奨して下さった方がおりました。
実は前回のメアドの変更の時にそれも考えましたが、どうも味気無い気がして変更のみの対応をしましたが、この状況が続くようでしたらそれも視野に入れて次回の対応を考えたいと思っています。

「一生懸命」やっている活動の邪魔をされる事は、webの世界以外でも腹立たしい事です。
「無視」出来ないところまで来ている「スパムメール」の対策は公の機関がもっと本腰を入れて当たって欲しいと思います。

ウイルス然り、スパイウェアも然りです。




2006年3月10日

新しいメアドに変えて2ヶ月になります。

変更した当初はほとんどスパムメールが来なくなりましたが、最近また増えて来ました。
10日ほど前までは3日間で90通、1日30通平均で送られて来ました。
「また増えてきたな!」と思っていると、昨日くらいから60通近くのスパムメールが来るようになり、まさに「いたちごっこ」の様相に怒りの矛先を何処にぶつけたら良いのか?と思ってしまいます。

旧のメアドは2月末で完全に使用不可能になってしまいましたが、相当数サーバーの溜まっていたと思います。
「たかがメアドされどメアド」

変更作業に時間が掛かりますが、それ以上に多くに方にご迷惑がかかります。
しかし、また近々変更する事になるかもしれません。

皆様その節は宜しくお願い致します。



2006年3月9日

友梨ちゃんが行方不明なって既に2年9ヶ月以上が経過しました。

その間、本当に多くの方のご協力・ご支援を頂きましたが、未だ有力情報に繋がっておりません。
 
今一度この事件について最初から考えなおしてみる必要があると思います。
先日捜索の輪!の協力者の二月様から掲示板に「事件について犯人を推理」した投稿して頂きました。 
その文面をそのままお借りしてページにアップさせて頂きます。 
 
事件発生当初の状況や犯人像、犯行方法等、新聞報道記事からの情報を元に独自の検証をされております。 
今大事な事はその検証を読んで頂く事であらたな情報(記憶が蘇った・思い出した等) 
また、「私ならこう言う風に考える。」 
「あの時見た人は、見た車はもしかしたら・・・・」等。 
 
今からでも遅くありません。 
気づいた事、思い出した事がございましたら「捜査当局」へご一報をお願い致します。

「吉川友梨ちゃん行方不明事件に関する、犯人像を推理した投稿」


2006年3月8日

昨日「羽純さんを救う会」様から捜索の輪!のリンク協力のご連絡を頂きました。

サイトにお邪魔して初めて知ったのですが、ななみちゃん、まなちゃんと同様移植の為の募金活動をされているサイトでした。
昨日緊急でリンクを貼らせて頂きましたが、一日遅れではございますが本館と捜索の輪!のHP版、blog版の3つの日記に書かせて頂きました。
今回は街頭募金や送金の他に「ダイヤルQ2」による募金も出来るようになっています。
一回300円ですが、簡単に募金が出来るので非常に有効な手段の一つだと思います。

皆様是非ご協力をお願い致します。

羽純さんを救う会


2006年3月7日

「まなちゃんを救う会」の募金額が5,600万円になりました。

2月27日の記者会見の後から募金を始め、初日の街頭募金額は44,362円。
初日を終えて1億3,600万円もの途方も無い金額に呆然としたかもしれません。
1日4万円で推移すると1ヶ月120万円、1年で1,440万円。
10年スパンでないと達成出来ない金額になります。

しかし街頭募金をはじめwebでの呼び掛け・協力のお陰でたった8日で進捗率41%。
今までの日数と金額から計算すると700万円/日。
初日の44,362円からは想像も出来ないハイペースで募金が集まっています。

1億3,600万円を700万円で割ると19日強。
このペースで推移すると達成予定日は3月18日ですが、日に日に募金額が増えていると思われますのでもう少し早い時期に達成出来ると思います。

渡米までもう日が無いです。
何時でも出発出来るよう準備をお願い致します。


まなちゃんを救う会


2006年3月6日

4日の読売新聞の朝刊や産経新聞に友梨ちゃんの記事が出ていました。

読売新聞の朝刊の記事は自宅で読みました。
その記事をミッキィートム様が掲示板に転載して下さりましたので近況情報のページに掲載をしました。
また産経新聞の記事は帰宅後webを通して知る事が出来ました。
「不明の友梨ちゃん、中学生に 大阪・熊取町教委が手続き」との見出しの記事がそれです。

あと1週間ほどで友梨ちゃんが不在のままの卒業式が執り行われようとしています。
そしてこのままでは友梨ちゃん不在のままの入学式になるかもしれません。

一生の思い出がまた一つ積み残してしまいました。



2006年3月3日

捜査本部のご担当者様と時々電話で話をさせて頂きます。

先日も以前捜査の協力を頂いた方の事で話をさせて頂きました。
また、掲示板の書き込みの内容についての捜査のお願いや、送られて来た情報についての事など様々な事をお願いしています。
半年以上連絡を取らない時もあれば月に数回電話する時もあります。

ほとんどご担当者様の携帯電話にかけさせて頂きますが、先日久しぶりに泉佐野警察署の方に電話をしました。
情報の窓口ですので、事件当初の対応と比べると非常に良い対応になったように感じました。
「客商売」では無いですが、窓口で嫌気がさすと情報が止まってしまいます。

是非これからも真摯な態度で情報提供者と接して頂きたいと思います。


2006年3月2日

滋賀の幼稚園児殺害事件でいろいろな意見が出ています。

私の周りでも「加害者擁護発言」も散見されます。
「殺人」はどのような理由が有ろうとも許す訳には行きません。
しかし「その前に事件を食い止める事が出来なかったか?」
その部分についての意見も多いように思います。

言葉の問題、文化の問題、加害者を取り巻く環境の中で彼女の心の奥底を、心の叫びを誰も聞いて上げられなかったのか?
また、被害者の保護者の意見を取り上げる事が出来なかったのか?

「グループ送迎」と言う送迎方法を私は今回初めて知りました。
他人の子供を交代で送迎する事は基本的に非常に危険は事だと誰でも気が付く事だと思います。
殺人の危険性では無く、交通事故の危険性です。
事故を起こした時の責任は?
賠償問題は?
子供が友達同士だったとしても、親が知り合いだったとしても、いや、そうだからこそ余計に亀裂が生じます。
そんな危険は行為を何故続けていたのでしょう?

それが交通事故では無く「殺人」と言う形で知る結果になった事は残念でなりません。



2006年3月1日

今日いつもご協力を頂いているかおりん様からメールを頂きました。

「ななみちゃん」の時もいち早くご自分のblogで募金の呼び掛けをされており、私はかおりん様のblogで「ななみちゃん」の事を知りました。
今回ご連絡を頂いたのは生後5ヶ月で「拡張型心筋症」であることが分かり、心臓移植をしないと余命半年と宣告をされた「まなちゃん」の移植費用の募金を募るサイトのご連絡でした。
最近多忙の為、かおりん様からご連絡を頂くまでサイトの存在を知りませんでした。
今回の募金総額は1億3,600万円。

早速blogとHPで呼び掛けをさせて頂きます。
皆様どうかご支援をお願い致します。

最後になりましたが「かおりん様」ご連絡ありがとうございました。

まなちゃんを救う会


2006年2月28日

「2月末まで生きている可能性は1%以下」

そのななみちゃんは元気で病気と闘っています。
今日で2月が終わります。
3月、4月、5月、そして2007年とこれからも力一杯生き抜いて欲しいと祈っております。

まだまだ移植に耐えうる年齢・体力には達していません。
今は「騙し騙し」命を繋いで行くだけです。
これから移植までに何が起こるか予断は許しません。
その中でご両親は立派に現実を見ているように感じます。
「今日も生きていてくれた!」「明日も生きていて欲しい!」
そう願い続けながら毎日毎日ななみちゃんを見守っています。

どうかご両親も無理をなさらず、ななみちゃんの為に元気で付き添ってあげて下さい。
きっと元気になって日本に帰ってこれると信じております。



2006年2月27日

先日久しぶりに記事の配信がありました。

「友梨ちゃんにも卒業証書 熊取町教育委員会」との見出しで、友梨ちゃんに卒業証書を発行する動きが出てきました。
3月3日にも正式決定がなされるそうですが、複雑な気持ちです。

4年生の5月から2年10ヶ月間就学せずに卒業です。
ほとんど半分の通わずに卒業証書の授与される事はご両親も納得出来ない事だと思います。
卒業式までに友梨ちゃんが帰還出来なければご両親が貰う事になりますが、その時の心中を考えると・・・。

卒業式まで後3週間もありません。
どうか友梨ちゃんが自分の手で卒業証書を受け取る事が出来るようご支援をお願い致します。


2006年2月24日

「人は何に関心を持つかの?」

原因はいろいろあります。
興味がある事、身近な出来事、共感出来る事、自分に関係ある事。
人それぞれ温度差は否めません。
「自分には関係ない」
「まさか自分の子供が・・・。」
「関心を持ったところ何も出来ない」

実は私も同じような事を思っていました。
友梨ちゃんが行方不明になった時、テレビや新聞で報道されたのを見ました。
その時は「どうしたんやろう?」程度の認識しかありませんでした。

しかしこの活動も2年9ヶ月が過ぎました。
活動を始めて数ヶ月経ってからは「これは自分に与えられた使命」だと思うようになりました。
協力や支援では無く「使命」。

自分でも不思議ですがこれが今の心境です。



2006年2月23日

時々情報を送って頂いた方とメールのやり取りをします。

その方々にはその件で捜査本部まで電話をして頂く事が多くあり本当に感謝しております。

警察、教育委員会等にも情報が少なくはなりましたが未だに多くの方から情報が寄せられています。
特に捜索の輪!には「気になっていた事」と言う内容の連絡が良く来ます。
事件当時から「心に引っかかっていた事」を寄せて頂く事で、心の置き場を見つけて頂いたと思います。

頂いた情報はすべて捜査本部に連絡をさせて頂いておりますので、要請がありましたら是非ご協力をお願い致します。
捜査本部も必死で関連を調べて下さります。

沈滞ムードが続いておりますが、活動に活気を出す為に是非皆様からの情報をお願い致します。


2006年2月22日

昨日、二月様より掲示板にメッセージを頂きました。

事件発生時の状況から犯人像等、ご自身で検証されています。
犯人像は私も多方面から考えましたが未だに確証には至っておりませんし捜査当局も確実な証拠を掴んでいないかもしれません。
メッセージの中にはそれ以外にも「友梨ちゃんの生存を信じている事」そして「今一度この事件に関心を持って欲しいと言う事」

事件から2年9ヶ月。
「地元住民はどのようにこの事件を考えているのか?」
「どれだけ初動捜査の協力をして頂けたのか?」
当然地元住民、保護者の皆様が寝る間も惜しんで「捜索」に携わった事と思いますが、「捜査協力」はどうだったのでしょう。

今一度当時を振り返って「捜査協力」をお願い致します。


2006年2月21日

最近、移植関係では「ななみちゃん」の事ばかりを取り上げていますが、「みつみちゃん」のその後はいつも見守っています。

時々サイトにお邪魔して新しい写真などがアップされているのを楽しく見せて頂いております。
昨年の3月に募金を始め、5月に目標金額達成。
そしてすぐにドイツに渡り、6月に移植手術。
10月は元気に帰国する事が出来ました。
そして11月からは学校にも通えるようになり、みつみちゃんの頑張りには勇気付けられました。

webの普及で緊急かつ広く支援を要請する事は昔に比べると格段に進歩しました。
そのツールを上手く利用出来た良い例が「みつみちゃん」であり「ななみちゃん」です。
多くの方が協力する事、その方法を学んだ事と思います。
これが今後同じような案件が発生した時に「どのような行動をするか?」

その事を多くの方が感じる事が出来た事は素晴らしい事だと思います。



2006年2月20日

2004年2月20日

この日から「捜索の輪!」が大きく変わりました。
今からちょうど2年前の出来事です。

捜索の輪!活動を初めて半年間はリンク協力サイト様を検索エンジンで探しては「ゆりちゃんの輪!」のページに掲載する事が多くありました。
それが捜索の輪!の一番の作業でした。

活動を始めた頃はメールアドレスの掲載をしておりませんでしたし、掲示板の開設に至っては2004年2月15日からでした。

当初は協力の連絡をしようにも連絡先が解らない状態にしていました。
その為、ページには「リンクフリー・二次加工フリー」のクレジットを入れておりました。

皆様に自分の意志でリンクを貼って頂いたり、協力をして頂く事。
管理人の私は一切表に出ないと決め、友梨ちゃんが無事発見された時点でサイトを閉鎖出来ればと願いながら活動を行って来ました。

新聞で大きく報道して頂き、yahoo!トピックスに掲載されたお陰で沢山の方に知って頂き協力を頂きました。
一日でリンク協力が100サイトも増えました。

現在のリンク協力サイト数は1,464。
一部閉鎖や移転はありますが本当に多くのサイト様からの情報発信をして頂いております。

あれから2年。
今日で行方不明から2年9ヶ月です。



2006年2月18日

環境に馴染めない、自分の子供が苛められている。

そんな事で・・。
加害者にとっては動機として充分だったかもしれませんが、それを許す事は出来ません。
その環境に自分が耐えられなかったらその場から逃げれば良いではないですか?
もっと周りに助けを求めたら良いではないですか?
子供を殺せばすべて解決する問題なのですか?

どのように考えても因果関係が解りません。
問題解決にもならない事で、自己中心の考えだけで犯行に及んだのは狂気としか良いようがありません。

以前も同じような事件がありました。
それも被害妄想的な動機だったように記憶しています。

何故その矛先がいつも子供に向けられるのでしょう?



2006年2月17日

また幼い命が無残にも奪われました。

子供の生命と安全を守るべき大人が・・・。
いや、今回はその大人でも保護者です。
衝動的な犯行のような状況ですが、車内で包丁で刺すと言う行動から計画的な犯行のようです
動機はこれから解明されて行くと思いますが、どうして罪も無い幼い命に牙を向けたのでしょう。
同じ子供を持つ親なら愛する子供がどれだけ大切か、奪う事が許され無い事を知っているはずです。

「取り返しの出来ない事をしてしまった」と悔やんでも、謝罪しても二度と帰って来る事が出来ない事を少しでも考えたのでしょうか?


2006年2月16日

「ななみちゃんを救う会」の親御さんの手記の中に聞きなれない言葉を見つけました。

「SNS」と言う言葉です。
今回の募金の呼び掛けで「HP」「blog」の他にこの言葉がありました。
初めて聞く言葉だったの調べてみると・・・。


参加者が互いに友人を紹介しあって、新たな友人関係を広げることを目的に開設されたコミュニティ型のWebサイト。誰でも自由に参加できるサービスと、「既存の参加者からの招待がないと参加できない」というシステムになっているサービスがある。
 自分のプロフィールや写真を公開する機能や、新しくできた「友人」を登録するアドレス帳、友人に別の友人を紹介する機能、サイト内の友人のみ閲覧できる日記帳、友人間でのメッセージ交換に使う掲示板やカレンダーなどの機能が提供される。
<資料:IT用語辞典 e-Wordsより>


今回は多くの支援者が自分が持っているネットワークを駆使して多くの仲間と連絡を取り合って緊急かつ大規模な活動が行われました。
その一翼を担ったのが「SNS(ソーシャルネットワーキングサイト)」です。


2006年2月15日

「ななみちゃんを救う会」のサイトで現地からの報告がありました。

2月4日と9日の12日の3回です。
アメリカへの移送は非常に心配していましたが無事に現地の医療チームにバトンタッチが出来たようです。
その後、ななみちゃんの様態が逐次報告がなれてれいます。
無事渡米する事が出来ましたが、未だに予断を許さない状況なのは変わりません。

2月末までに彼女が生存している可能性の1%以下は少しは改善されているのかも現段階では予想すら出来ません。
しかし親御さんの手記からは「生きる希望」が充分感じられます。

2月末まで後半月。
3月の声を聞く事が出来れば安心とも言えません。
もしかしたら明日にも容態が急変するかもしれません。
今は一日一日を大事に過して行くだけだと思います。

どうか元気で生きていて欲しいと願っています。


2006年2月14日

「blog」を作って昨日で丸一年になりました。

これまで書いた日記は「323」になります。
当初はほぼ毎日日記を書いていましたが途中から「100日続けてみよう」と決意して実行しました。
しかし、その反動か体調を崩し土日を休刊日にして現在に至っております。

時々抜ける事、緊急案件で休刊日に書く事もありますが何とか1年続けることが出来ました。
「blog」を作った切っ掛けは「HP版」への誘導のつもりで作りましたが、あまり当初の目的通りには行きません。
「blog」だけの訪問で「HP版」への訪問は本当に少ないです。
「blog」の訪問数も最近は50〜100アクセスまで減って来ました。
HP版も300台を推移し、今までより2割ほど減っています。
しかしその減って来た訪問数も「継続」する事で少しは発信も出来ている思っています。

是非「HP版」への訪問をお願い致します。
情報の多くはHP版の方に置いておりますので是非宜しくお願い致します。



2006年2月13日

2006年2月13日

今日で友梨ちゃんが行方不明になってちょうど1,000日になります。
節目を意識する訳ではありませんが、先日ふと日数を数えてみて今日が1,000日だと言う事を知りました。
簡単に1年や2年と表示すると時間の経過が安易に思えてくるようです。

1年だけでも365日。
1,000日もの夜を友梨ちゃんと吉川様は過した事になります。
そして夜布団に入って「今日も見つからなかった!」「明日は必ず!」と心に誓って朝を迎える事になります。
その回数が1,000回です。

朝起きて
「友梨ちゃんがいないのは夢であってほしい!」
「すぐ横に友梨ちゃんの寝顔があってほしい!」
「夢なら醒めてほしい!」
そう願い続けた1,000日だっと思います。

時の流れの酷さを感じます。



2006年2月10日

今から2年半近く前、友梨ちゃんが通っている学校のPTAの役員さんからメールを頂きました。

その時初めて「地元の様子」を知る事が出来ました。
友梨ちゃん捜索の為のチラシ配りは当初は学校関係者が中心になって行っていたと思います。

私はメールを頂くまでは「この前はありがとうございました。」と言う会話が吉川様と支援者の間でなされていると思っていましたが、実際は違いました。

友梨ちゃんのお母さんが人目を避けるように買い物に出られていたようです。
周りの方に余計な気を使わせないようにとのご配慮だと思いますが、この話を聞いて衝撃を受けました。
また、あまりにも安易に考えていた自分を恥ました。

そして、もっと真剣に取り組む為、独立サイト形式「吉川友梨ちゃん捜索の輪!!」を作りました。


2006年2月9日

HP版「捜索の輪!!」に「捜索の近況情報」と言うページを作っています。

行方不明当時からの新聞記事を纏めたページです。
捜査状況、支援状況を皆様に知って頂き、またその記事を読んで何かを感じて頂きたく作りました。

以前はwebで配信された記事のみしか掲載する事が出来ませんでした。
また、一部の方からは「無断転載」とのお言葉も頂きました。
取材の時、その旨を記者の方に確認をさせて頂いたところ、「使用目的には問題が無いので大丈夫です。との見解を頂きました。

以前ある新聞社の記者の方から「担当が替わりました。」との電話を頂きました。
その時「最近あまり記事が出ませんね。」と言うと「大阪版には出ていますよ。」と言われ無理を承知で記事の借用のお願いをしました。
その一件が切っ掛けで各紙に記事の借用の依頼をしました。

現在「近況情報」には253記事を掲載しております。
そのうち正式に新聞社から承諾を得て借用・掲載した記事は約170記事になります。

経緯は経緯として大事な事ですが、これからがもっと大事になります。

報道機関の皆様、是非記事の配信をお願い致します。


2006年2月8日

警察に親近感を持っている方や協力的な方は少ないと思います。

私もこの活動を始めるまではその一人でした。
何故なら警察の方と話をしたのは「交通違反」の切符を頂く時だけでしたので・・・。

活動を始めて必然的に警察と拘るようになり、逆にこちらからお願いや要望を沢山投げさせて頂きました。
その都度真摯な態度で対応・回答を頂き「警察も捨てたもんじゃない!」と実感が出来ました。

既に2年以上お付き合いをさせて頂きましたが、大変熱心に話を聞いて下さり、小さな事でも返事を頂いております。
捜索の輪!には警察に不信感を持ちながら、協力しようと言う方からの情報が時々寄せられます。
「情報を誰かに伝えたい・協力したい」

そんな気持ちが多く齎されます。
その為の「窓口」が捜索の輪!だと思っております。



2006年2月7日

昨日HP版「捜索の輪!」の掲示板にある書き込みを頂きました。

忠告のつもりで送って頂いたと思いますが、個人を特定出来る内容でしたので削除をさせて頂きました。
ご忠告の意図は充分認識はしておりますが、不特定多数が閲覧する掲示板に個人が特定出来るような内容の書き込みは今後はご遠慮頂きますようお願い申し上げます。

個人が個人の情報を簡単に世間に公表する権利は無いと思いますし、してはいけない事だと思います。
その為に司法・刑法があるのだと思います。

今回お送り頂いた内容は捜査当局に連絡をさせて頂きましたので、しかるべき対応をとって頂けると思っております。

今後同じような内容をお送り頂く時は、直接警察か、メールにてご連絡をお願い致します。


2006年2月6日

先日捜査本部のご担当者様にお会いしました。

仕事で泉佐野周辺を営業していましたので、いつものようにコンビニの駐車場で10分ほどで昼食を済ませて行って来ました。
いつも「捜索の輪!」活動を全然的にバックアップして頂いておりますのでご挨拶を兼ねての訪問です。

喫茶店で少しお話をさせて頂きましたが、本当に地道な捜査を事件発生当初から今まで続けておられます。
もっと多くの情報が寄せられれば「容疑車両から外せる車」も多くあるように感じました。

前にも書きましたが「容疑者・容疑車両」を特定する前にそれらから「除外する」事が急務です。
その為に事件当日に現場周辺を通過した皆様からの情報(申告)が必要になります。
どうか今からでも遅くありません。是非情報をお寄せ下さい。
分母が小さければ小さいほど、「一」に近づきます。

その一人、その一台が事件の核心です。

※この記事は、先月の中頃にアップする予定でしたが、なみちゃんの緊急記事と差し替えをした為今日になってしまいました。


2006年2月3日

以前「吉川ゆりちゃんを捜しています!」のページの事を書きました。

これから何も主題が無い時は順次「捜索の輪!」のページ紹介をしていこうと思います。
今回は「ゆりちゃんの輪!!」のページの事を書きます。

「ゆりちゃんの輪!!」とは情報呼び掛けの協力をして下さっているサイト様を紹介しているページです。
このページを作ったのは活動を初めて1ヵ月後の7月22日です。
ページをアップした時のリンク協力数は16サイト(17ページ)でした。
それが9月初旬で66サイト、10月6日で100サイト、11月19日にスポーツ紙、地方紙で紹介して頂いたお陰で翌20日で200サイト。
年内には300サイトを超えました。
それから時々新聞で紹介して頂く様になり、リンク数が伸びて行きました。
リンク数が伸びれば伸びるほどweb上で目にする機会が多くなります。
「このバナー何やろ?」「吉川友梨ちゃんって?」

「ゆりちゃんの輪!!」で協力して下さるサイト様を紹介する事で、「これくらいなら私にも出来る」
「私ならこんな協力が出来る」。

自分が協力している(協力しようとしている)事にどれだけ参加しているのか?
どんな人が協力しているのか?
何も見えないものには躊躇してしまう時があります。

目に見えるようにすれば、後は皆様が考えてくれるはずです。
そう言う目的でこのページを作りました。



2006年2月2日

タレントの島崎俊郎様のサイト「島崎俊郎-アダモちゃん★ねる」が1月で閉鎖されました。

情報呼び掛けのご協力を頂いたのが2004年1月。
ちょうど2年のお付き合いでした。
閉鎖の理由は「諸事情により」とだけ書かれておりますので計り知れませんが、長期間のご協力本当にありがとうございました。
また再開の節は是非ご支援をお願い申し上げます。

当初はタレント繋がりを期待しておりましたので、サイトを管理されているご担当者様にお願いをした事がありました。
そのお陰で昨年6月からオスマン・サンコン様のオフィシャルサイト「オスマン・サンコンオフィシャルサイト」にリンク協力をして頂きました。

多くの方に知って頂く事が活動の出発点です。
是非芸能関係のサイト様のご支援をお願い致します。

本日でリンクを解除させて頂きます。



2006年2月1日

「ななみちゃんを救う会」のHPに連日数千のアクセスがあります。

募金額が達成された今ですが、多くの方がななみちゃんの容態を心配して毎日見てくれているのだと思います。
私も毎日近況を見させて頂いている一人です。

HPによると当初の出発予定の1月30日に無事彼女はアメリカに向けて出発しました。
そして1月31日にマイアミの病院に無事着くことが出来た模様です。
容態も大変安定してとの事でまずは一安心です。

これからの治療で「彼女は2月末までに生きている可能性は1%以下」を乗り越えて欲しいと願います。


2006年1月30日

「株式会社メルファム」様の田中様と電話で話をさせて頂きました。

実は先日のチラシ寄贈のお礼のメールは送らせて頂きましたが、直接お礼を言っておりませんでしたので、遅ればせながらではございますが今日の電話に至りました。
話の中で「私はこれくらいの事しか出来ませんので・・。」と仰られ、益々田中様の姿勢に感服致しました。
私はサイトを管理しているだけですので、恐縮しっ放しの会話に終始しました。
田中様にはこれまで30,000部以上のチラシの配布、寄贈をして頂きました。

チラシは警察、自治体、有志の皆様からの寄付でこれまで数十万部が作成・配布がなされました。
以前、予算の関係で増刷が出来ない時期があり、「捜索の輪!」にもチラシの要望のご連絡を頂いた事があります。
その為一枚でも印刷して頂き、活用が出来るようにチラシを載せたページを新設致しました。
しかし、大量のご利用には対応が出来ない為、田中様に援助を何度かお願いしました。

ご好意に甘えてばかりですが、今は一人でも多くの方の善意にお縋りするしか方策はありません。


2006年1月28日

「ななみちゃんを救う会」の募金額が1億2,100万円になっていました。

達成後は募金額の更新は週一で行っているようですのでもう少し増えると思われます。
一人一人の力は小さいですが、このような大きな目標が短期間で達成された事は少しでも拘った(バナーを貼っただけですが・・・)一人として大きな喜びです。
あれから「ななみちゃんを救う会」を再度検索すると117,000ページがヒットしました。
因みに捜索の輪!は微増の14,100でした。

「ななみちゃんを救う会」に1月24日にご両親の手記が掲載されていました。
19日には目標金額達成のお礼、そして今回はななみちゃんの様子と渡米準備の事。
明日30日に出発される予定になっていますので、安全な移送を願っております。
そして今後の治療、移植とまだまだ困難は課題が残されてますが一つ一つ着実にクリアして行って元気に帰国して欲しいと思います。

ななみちゃん頑張れ!


2006年1月27日

いつもチラシの印刷並びに配布のご支援を頂いている(株)メルファムの田中様から新しいチラシのデータを送って頂きました。

チラシ本体は昨日捜査本部に14,000枚届けて頂き、近畿の各警察署、吉川様、七山地区自治会の方に捜査本部から手渡して頂いたそうです。
現在、6,000枚ほどストックが有るとの事ですので有意義に使って頂けると思っております。
是非この機会に大阪府下の警察署、交番、公共施設に掲示して頂きたいと思います。

「新しいポスター」はそれを見た方への訴えと同時に「活動している事」を知って頂けます。
過去の出来事にしない為、今も情報を必要としている事。
一枚のポスターが多くの事を伝えてくれるはずです。
その為にもっと沢山の「蛇口」を作る必要があります。
チラシ、ポスター、インターネット。
人から人へ直接伝えて行く事も一つに方法です。
そして、マスコミ(新聞、テレビ、ラジオ)からの情報も定期的に発信して頂きたいと切に願います。

もうすぐ2月です。
彼女に小学校の思い出を、卒業式の記憶を・・・。



2006年1月26日

友人のblogに「あまりにもしょうもない書き込みが9割を越えていますので、現在トラックバックは受け付けておりません。 悪しからずご了承下さい。」と書かれていました。

実は私は最近、TBや掲示板の書き込みを全く見ておりませんでしたが、先日TBを見て何件かを削除しました。
(掲示板の書き込みは追ってレスをさせて頂きますので今暫くお待ち下さい。)
私は元々TBの手法には疑問を持っております。
簡単にリンクと同じ事が出来るのは便利な事ですが、こちらの意思を無視した相互リンクのような形になっているのに疑問を感じます。
それがblogと言われればそれまでですが・・・。

話題の共有は賛同出来ます。
しかし全く関係ないblog、全く話題とかけ離れているblogは、ただ自分のblogに導く為の手法でしかありません。

「道具は使う者によって・・・」
今回もそう感じた出来事でした。



2006年1月25日

ついにスパムメールが300通/日を超えてしまいましたので、先日まで使っていたメールアドレスを本日削除致しました。

新しいメールアドレスは既に本館・別館サイト、「HP版捜索の輪!」そして「管理人版携帯サイト」に掲載しておりますので今後はそちらの方にお願い致します。
サイト開設以来、3年3ヶ月慣れ親しんだアドレスですが、あまりにも酷い状況になりましたので今回の処置を取らせて頂きました。
ほとんどが「出会い系」のサイトのようですが、受信するだけでも相当時間が掛かります。

また、それを削除しながら「必要なメール」を探す作業も一苦労です。
今までは毎日我慢してその作業を繰り返して来ましたが流石に限界を感じ決断しました。

たかがメアドですが永年使っていただけに削除するのは悲しいです。

「道具は使う者によって・・・」
そう感じた出来事でした。



2006年1月24日

先日、長野県の事件(事故)の報道が切っ掛けで普段の倍ほどのアクセスがありました。

何度も書きますが「行方不明者」がキーワードになっています。
yahoo!の記事から「行方不明」のカテゴリーを見る方が多いようです。
今は新聞よりもyahoo!等がポータルになっているのがアクセスから推測出来ます。

それだけネット人口が増え、情報収集に利用されているのは新聞よりも情報が早い為です。
今回の事件(事故)の場合も翌日の朝刊にしか載りません。

テレビ報道はニュースの時間を見逃せば次のニュースの時間まで待たなければなりません。
その点webは絶えず情報を発信しています。
自分の都合の良い時間に見て多くのニュースを知る事が出来ます。
相手に依存しない自分主体の媒体がwebなのです。

しかしどの記事を選択するかは一人一人の判断に委ねられるのです。



2006年1月23日

blogを検索すると友梨ちゃんの事を書いて頂いているのを良く見かけます。

多くの方が心の片隅に友梨ちゃんを置いて頂いているのが解ります。
サイトを見た方や先日の広島・栃木の事件を見て思い出した頂いた方々だと思います。
定期・不定期に拘らず記事を書いて頂く事で友梨ちゃんの事を多くの方に伝える事が出来ます。
そしてご自身の心の中に確実に根付いて行くと思います。

行方不明から2年8ヶ月が経過した事件ですが過去の出来事ではありません。
今も尚助けを待っているのです。

チラシ、ポスター、サイト。
我々は情報発信しか出来ません。
「知って頂く事」これは我々に出来る第一の活動だと思います。

そして、それを見た方からの情報に期待するしか手立てはありません。



2006年1月22日

本日、本館サイト、別館サイト、そして捜索の輪!の全てのメールアドレスを変更致しました。

今回の変更に伴い「捜索の輪!」専用アドレスを追加致しました。
連日スパムメールが大量に送られてくる為、必要なメールを見落としてしまう恐れがありましたので弊害を覚悟で変更致しました。

皆様には大変ご迷惑をお掛け致しますが、作業を円滑に進める為の処置だとご理解をお願い致します。

また、今回の変更に伴い今までメールのやり取りをして頂きました皆様には個別には変更の連絡を差し上げない事をお許し下さい。
そして、呼び掛けをして下さっているサイト様で拙メアドを明記しているサイト管理人様、申し訳ございませんが変更をお願い致します。
新しいメアドは捜索の輪!のトップページその他のページの一番下にリンクしております。

大変ご迷惑をお掛け致しますが宜しくお願い致します。



2006年1月21日

今日も「ななみちゃんを救う会」の募金額が増えていました。

昨日で1億1,600万円。
実は私は今回送金をさせて頂いておりません。
卑怯な事だと思いますが、これだけのハイペースで金額が増えれば大丈夫だと思いリンクだけの協力で終わってしまいました。

捜索の輪!活動は「情報発信の場」としての位置づけです。
多くの方に知ってもらう事が活動の一番の目的です。
情報を全く持ち合わせていない私にとっては発信しかありません。
その為、気なる事があれば拙サイトで発信をしております。

友梨ちゃん以外の行方不明者のリンク、今回のような募金のリンク。
発信をする者、チラシ、ポスターを配布、掲示をする方。
それぞれが自分に出来る事をする事でお互いの補完が出来ると思います。

捜査は警察の仕事です。
その部分に入り込むことは民間人には出来ません。

オンライン、オフラインに拘らず絶えず伝えて行く努力をしていくだけだと思います。

ななみちゃんを救う会


2006年1月20日

「ななみちゃんを救う会」の募金総額が一億円を超えました。

僅かの期間でこんなに多くの善意が寄せられた事は、今後同じような事案が発生した時のケーススタディーになると思います。
今日も検索エンジンで「ななみちゃんを救う会」を検索したところ30,000を超えるページがヒットしました。
ネットの普及と流行のblogの普及が「情報発信」に大きく貢献をしたと思います。

私も自分のサイトにバナーを貼っていたところ友人が掲示板に書き込みをしてくれていました。
それを読んだ瞬間「これが情報発信」「善意の輪!」だと感じました。
そして自分の事のように達成を喜んでくれていました。
以下に書き込みの内容を添付致します。

一昨夜の日記で「ななみちゃんを救う会」を知り、昨日、個人とうちの会社で急いで振込みに走りました。
そしてさきほどサイトを覗くと達成してましたね!!!
何かむっちゃ嬉しくなりました・・・が、これからが本当の正念場。
絶対に元気になって帰国して欲しいです。

その時の状況や気持ちが手に取るように解る文章でとても感動させられました。
今回も多くの方の素晴らしい心に触れさせて頂きました。
心から感謝申し上げます。

ななみちゃんを救う会


2006年1月19日

<緊急告知3>

一昨日緊急告知をさせて頂きました「ななみちゃんを救う会」の募金額が目標金額の9,000万円に達成しました。

12日の記者会見後から募金活動を始め、僅か一週間での達成に心から感謝致します。
それは今回の事案の緊急性を皆様が認識し迅速な対応をして下さった結果だと思います。

昨日検索エンジンの「google」で検索したところ「ななみちゃんを救う会」の検索結果は12,000ページに達していました。
今日改めて検索したところ18,500まで増えていました。
僅かの期間でこれほど多くのサイトが記事、リンクをしてくれた事が今回の結果の一助になったと思います。

また「吉川友梨ちゃん捜索の輪!」の検索結果は2年半の活動で13,400になっています。
瞬発力が必要な事案、継続して行かなければならない事案。
状況に応じた活動が要求されると思います。
その状況を認識された多くの方が支援、応援して頂いた結果が目標額達成に繋がりました。

しかしまだ一歩前進しただけ、扉を開いたに過ぎません。
ななみちゃんを安全に渡米させる手段(医療チーム同行の上の特別機、チャーター機の手配)
現地病院での医療環境、ご家族の滞在問題、そして延命の為の透析。
また移植に関しては適合したドナーの問題。
無事手術が成功しても拒絶反応との闘い。
まだまだ予断は許されません。

最初の一歩を踏み出すための準備が出来たに過ぎないのです。


ななみちゃんを救う会


2006年1月18日

<緊急告知2>

昨日緊急告知をした「ななみちゃんを救う会」のサイトにお邪魔しました。

昨日はゆっくり見る時間も無く、バナーだけを貼らせて頂きました。
今日改めて読ませて頂くと、募金開始が1月12日(木)。
サイトも今年に入ってから開設されたようです。
マスコミの配信が12日からですので、ニュース報道された途端一気に募金が寄せられえたようです。
募金の初日は5万円そこそこでしたが、翌日新聞各紙(多分ネットにも)の影響もあり一日で2,200万円。
土日は街頭募金、設置募金のみでしたので二日で370万円強。
そして銀行が開いた月曜日には2,800万円、火曜日は2,200万円。
きっと今日で目標の9,000万円を超えると思います。

しかし、これから急ぎ渡米の準備をし、現地でドナーが見つかるのを待たねばなりません。
彼女に残された時間は後40日ほどです。
いや、もしかしたらもっと短いかもしれません。
多くの方の善意を背に受けて「生きる事」」「元気になる事」を信じて一刻も早く旅立って頂きたいと思います。

彼女に残された時間は後僅かです。

ななみちゃんを救う会



2006年1月17日 A

<緊急告知>

かおりん様のサイト[☆。・:+*かおりんブログ*:+:・゜☆]で、あるバナーを見つけました。
みつみちゃんや山田さんと同じ移植の為の募金を募っているサイトです。
サイトにお邪魔して緊急性を感じ本日急遽リンクをさせて頂きました。

彼女は2月末までに生きている可能性は1%以下と宣告されているそうです。
今回の募金目標総額は9,000万円。
今日一日で約2,000万円の募金が集まり、総額7,600万円になりました。
まもなく目標金額は達成されそうですが、あまりにも時間が無さ過ぎます。

皆様どうかご協力をお願い致します。

ななみちゃんを救う会



2006年1月17日 @

捜索の輪!の支援者の方から時々メールを頂きます。

協力サイトのご連絡やサイト移転のご連絡、ご助言等です。
先日も以前からご協力を頂いております[☆。・:+*かおりんブログ*:+:・゜☆]様の管理人様から連絡を頂きました。
そのメールにはご自宅周辺で「友梨ちゃんのポスターが増えている」とのご報告や「いつもサイトにお伺いすると・・・本当に感動します。」との嬉しいお言葉などが書かれていました。

また最後に「いつも信じる事の大切さと勇気を与えてくださりありがとうございます。」とお礼のお言葉まで頂戴致しました。
今までにも沢山の方から励ましや、ご協力のご連絡を頂きましたが、その一つ一つが私の原動力になっています。

「一人では何も出来ない。」
捜索の輪!は多くの支援者が集まって初めてサイトの存在意義・活動が生じます。
「捜索の輪!」の「輪」には人と人との繋がりの意味を込めてサイト名に入れました。
「支援の輪」「協力の輪」「心と心の輪」

これからもその「輪」を大切に活動を継続して参ります。



2006年1月16日

昨日捜索の輪!のトップページにリンクを貼っている「山田修一さんを救う会」のホームページを訪問しました。

昨年11月から忙しかったので久しぶりの訪問でした。
しかし「山田修一さん」は既に亡くなっていました。

同じ移植の為の募金を募っていた「みつみちゃん」は地元和歌山でしたので近所のスーパーでポスターを見たのが切っ掛けでリンクを貼ったのが昨年の3月。
それから6月に移植の為の募金を募っているサイト様へリンクの承諾のメールを送りましたが、唯一山田さんから承諾の返事が来ただけでした。
メールの主は山田さんの奥様からでした。
非常に丁寧な挨拶文と状況が書かれており、海外での移植を残念して国内で移植を待つとの事でした。
しかし山田さんはあれから半年も経たない間に亡くなってしまいました。

享年46歳。
奇しくも私の46歳の誕生日の日でした。

みつみちゃんは移植も無事成功し現在学校に通っています。
しかし山田さんは・・・・。

みつみちゃんのサイトは「生きている証」として、そして山田修一さんのサイトは「生きていた証」としてサイトが閉鎖されるまでリンクを貼っておきたいと思います。

サイトを見て移植について考えて頂ければ幸いです。


2006年1月15日

<長野不明男児>諏訪湖で遺体を収容 外傷なし

 15日午後0時20分ごろ、長野県岡谷市の諏訪湖釜口水門公園にいた人が「湖に子供のようなものが浮いている」と県警岡谷署に通報した。同署は男児の遺体を収容。服装などから昨年12月3日、母親と付近を散歩中に行方不明になった同県諏訪市清水1、市立高島小5年、堀内龍櫻(りゅうおう)君(11)と確認した。
 調べでは、遺体に目立った外傷はないという。服装は、行方不明になった当時と同じだった。詳しい死因を調べている。
 龍櫻君は昨年12月3日午後3時ごろ、釜口水門公園内を家族で散歩中に、母親(49)らがトイレに行っている間に姿が見えなくなっていた。【川崎桂吾】
(毎日新聞) - 1月15日19時17分更新

捜索の輪!でも情報呼び掛けをして参りましたが、最悪の結果になってしまいました。
詳しい原因(事故・事件)はまだ発表はありませんが、若い男女との関連性はどうなっているのでしょうか?
ネットで調べてみると目撃情報に虚偽の可能性があるようですので、もしかしたら行方不明直後に誤って溺れた可能性もあります。

龍櫻君のご冥福をお祈り申し上げます。



2006年1月13日

何度もポスターの印刷並びに発送のご協力を頂いている(株)メルファムの田中様からメールを頂きました。

今までは作成済みのポスターを印刷して頂き郵便局に発送して頂いておりましたが、今回は新しい種類のポスターを一から作って頂けるとの事です。
その為、わざわざ捜査本部まで出向いて頂き掲載内容の打ち合わせまでして頂きました。
友梨ちゃんに関する基本情報や当時の状況。
それ以外に「捜査当局が何についての情報を必要としているのか?」

限られたスペースに必要十分な情報を載せる必要があります。
「見慣れた構図にならないように」
「足を止めて見て頂けるように」
「捜査の意図・目的が解るように」

民間会社、民間の方ががここまで協力して頂ける事は同じ支援者の一人として頭が上がります。
ポスターが完成すれば頂ける事になっておりますので、手元に着き次第「捜索の輪!」にもアップさせて頂きます。

そして善意の気持ちを少しでも有効活用出来ればと思います。


2006年1月12日

最近、大量の「スパムメール」が来ます。

ほぼ連日100通近い数です。
一昨日はついに200通を超えてしまいました。
メールの件名は「メアドかえたよ!」「重要」「緊急のご連絡」「当選しました!」「ご協力下さい」等々、何とか開かそうと馬鹿な頭を使っています。
内容も「私は○○歳の△△と申します。・・・」など、良くこんな文章が書けるものだと思ってしまいます。
自分が「情けない」と思わないのでしょうか?
仕事、金儲けと割り切ってやっているのでしょうが、狂気すら感じます。
これもwebの「罪」の部分ですが、非常に邪魔な「罪」です。
もっと有益は使い方をしないと折角のツールが「悪の権化」だと思われる日がすぐにやって来そうです。
道具は使う人によって役にも立ち、凶器にもなります。

セキュリティーを駆使していろいろやってはいますが、ドメインを変えて送ってくるのが多くあり、何時まで経っても減りません。
このままでは本当必要なメールを見逃して削除しかねません。

その為、近々メールアドレスの変更をしようと思います。
実施日は追ってHP版捜索の輪!の「管理人からのお知らせ」のページにてご案内させて頂きます。
いままでご連絡を頂いた方々に個別には変更の連絡は致しません事をご了承解下さい。
ご迷惑をお掛け致しますが宜しくお願い致します。



2006年1月11日

年末年始の休み期間中(12月30日〜1月5日)までのアクセス数が極端に減少しました。

31日、1日は200台、その他は300台でした。
皆様がwebにアクセスしなかった為だと思いますが、私は逆に休み期間中に訪問して頂けると思っていました。
また5日に少しアクセスが戻ったのは京都府精華町で行方不明になっていた子の発見のニュースの為だと思います。
「行方不明」がいつもキーワードになります。
現在捜索の輪!のトップページには12名の行方不明者の方々のリンクを貼らせて頂いております。
12名とも未だに発見・保護されていません。
年月も相当経っている方も多くいますので情報も少なくなって来ていると思います。

是非今一度ご確認を頂き気が付いた事は担当の警察までご連絡をお願い致します。
詳細は「HP版捜索の輪!」にてお願い致します。



2006年1月10日

友梨ちゃんが行方不明になって3度目のお正月が過ぎました。

そしてまた新たな学期が始まりました。
彼女の6年生最後の学期です。
後2ヶ月強で卒業式です。
友梨ちゃんの帰りを待ち続けた旧友、クラスともお別れになります。
小学校6年間のうちの半分しか彼女は小学校に通っていません。

後2ヶ月。
せめて残りの2ヶ月だけでも元気に友達と小学校で学ばせてあげたいと思います。
担任の先生やクラスの仲間が友梨ちゃんの帰りを待っています。

是非皆様からの情報をお願い致します。
きっと誰かが目撃しているはずです。
きっと誰かが彼女の消息を知っているはずです。



2006年1月9日

「40人のボランティア、除雪に参加 長野・飯山」の記事を読みました。

参加者の一人は地震の時に助け合いの大切さを実感したといい、「何か役に立てれば」と考えて、友人3人を誘って車で駆けつけそうです。
「自分に出来る事」
自分にとって些細な事でも相手にとれば本当に有り難い事かもしれません。
少しでも人の役の立つ事は、相手に喜んで頂けると同時に「役に立つ事が出来る」実感もあると思います。
同じ人生、自分の都合や利益だけの為に生きて行くのでは無く共存していく事が大切です。

その中で自分に出来る範囲での協力をして行きたいと思います。



2006年1月6日

昨日突然「本館」「別館」そして「HP版捜索の輪!」の掲示板すべてが繋がらなくなりました。

どれも同じレンタルサーバーを利用させて頂いておりますのである意味仕方の無い事ですが一部の書き込みの文章を読む事が出来ませんでした。
書き込みを頂いた皆様本当に申し訳ございませんでした。
本日掲示板は復旧しておりますが12月30日から1月5日までのログも消えてしまっております。
皆様が貴重なお時間を割いて書き込み頂いたにも拘らず大変失礼致しました。
重ねてお詫び申し上げます。
書き込み頂いた文章は携帯に転送しておりますので一部は読む事が出来ましたが全文まで転送出来ておりませんのでレス等が出来ません。

これに懲りずに皆様からの書き込みをお待ちしております。
本当に申し訳ございませんでした。



2006年1月5日

京都府精華町で行方不明になっていた女の子が無事保護されました。

今日の夕刊には公開捜査と出ていましたので捜索の輪!でも呼び掛けをしようとwebを検索していたところ「無事保護」の報道を見つけました。
行方不明から丸一日でしたが、彼女の年齢が友梨ちゃんが行方不明になった年齢と同じだったので気になっていました。
幸い友達の家に泊まったそうですので、寒さも凌げたようで安心しました。

ついでにyahoo!の記事を読んでみると「香川県の五色台で行方不明になっている大西有紀ちゃん」と「長野県の諏訪湖から行方不明になった堀内龍桜君」は未だに行方不明にままです。
両者とも捜索の輪!のトップページに警察からの情報呼び掛けのリンクを貼っていますので心当たりの方はご一報をお願い致します。

何度も書きますが皆様からの情報が必要です。
些細な事でも結構ですので是非情報をお願い致します。


2006年1月4日

本日捜索の輪!のトップに長野県で昨年12月から行方不明になっている堀内龍櫻君の長野県警のページをリンク致しました。

家出と言う形での失踪ですが行方不明から1ヶ月が経過し安否が心配です。
行方不明からの経過は逐次webで確認をしておりましたが、行方不明当初の情報以来全く情報が無いようです。
何処かで無事過していると思いますが、保護した方からの連絡が無いのは不可解です。

事故に巻き込まれたのか、事件に巻き込まれたのか、は現段階では不明ですが行方不明になっているのか紛れも無い事実です。
小学生が1ヶ月以上も音信不通になっている状況は極めて異常な事です。

どうか保護されている方は警察に連絡をお願いいたします。


2006年1月1日

皆様、昨年は捜索の輪!活動に多大なるご尽力を賜り厚く御礼申し上げます。

友梨ちゃんが行方不明になって3度目の新年を迎えました。
家族揃って迎える事が出来ない新しい年。
無念としか言いようがありません。
「今年こそは友梨ちゃんの元気な姿を見たい!」
そう願いながらこの日記を書いています。

昨年は本当に沢山の方のご協力・ご支援を頂きました。
また、捜査本部の方とも何度かお会いしました。
多くの方と拘りながらのこの活動に携わって来ました。
この活動を始めて2年半。

「今年こそ!」
その願いが叶えられるようご支援をお願い致します。





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